2005年4月25日(月)
no.3 江戸売り声百景 宮田章司 著
江戸売り声百景

宮田章司


岩波書店 
940円+税
 
2003年発行
上記画像は
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 私はラジオびいきである。ラジオは音のメディアである。新聞より新しく、テレビより古いラジオ。この両者の保存は積極的になされているが、この音のメディアはどうであろうか?「ラジオは想像力・創造力のメディアである。」ラジオの職人とも言える永六輔の言葉である。ラジオの特長として長寿番組が多い事があげられる。永六輔を始めベテランが多い。秋山ちえ子、つぼいノリオ、毒蝮三太夫、浜村淳、道上洋三etc…。またテレビに加え、より局所的、地域に密着したメディアであると言える。

某IT企業がラジオ局の買収に乗り出したが、そこでこのラジオの特性が省みられなかったのは残念な限りである。

話がずれかかったので元に戻す。音のメディアの保存は後進的であるといわざるを得ない。私の知る限り、NHKアーカイブス(埼玉県川口)NHK放送博物館(東京都港区愛宕山)の2箇所のみである。新聞の縮小版。これが大概の図書館に置かれている事を考えてみれば、その差は明らかである。

 この本は江戸売り声を披露する事を生業としている、宮田章司氏の本である。本では彼の芸歴と、彼が売り声芸について時季ごとに説明、更にはその芸自体について説明していく。その中で次のエピソードがある。
彼は自身が聞いていた売り声の他にレパートリーを増やしていくわけだが、その言葉自体は文献(守貞謾稿)などから調べて、そこに節を自分なりにつけていく、と本の中で触れている。その際に元の言葉のアクセントを崩さない、実際に使う時のイメージが喚起されるような…など色々考えているそうだが、ともかくこれも一つの音の伝承、保存であると思うのである。更に言えば失われた音をどう残していくかを考えていく際の一つの糸口にもなるのではないかとも思うのである。

更にこの本の最大の特徴は本に筆者の舞台が録音されたCDがついている事である。この形態も音声の保存、そして活字の関係を見ていく上でも興味深い。

少し前に「声に出して読みたい日本語」がベストセラーになったが、これも声、音に注目している一つの流れだと私は勝手に考えている。「声に出して読みたい日本語」のシリーズに「声に出して読みたい方言」という一冊がある。これは後日紹介したい。

追記
日本における下座音楽。これは日本人が音を再現するのにどのような手法をとってきたか、これを考える一つの好例であると思う。今回は深くふれないが、いずれこれも取り上げてみたい。

今日のあれこれ
 人間関係云々あり。その中で釣りを思い出した。魚を待つ時にヘタに竿を動かすと魚は寄ってこない。実際の生活、人間関係において「待ち」というのは非常に難しいものだと思う。動いてこそ変化が生まれる、と考えてしまいがちで、その結果相手を追い詰める、魚を逃がす事になる。さてどうすればいいものか。餌をかけ、それと同時に魚の動きを察知できる事、更に言えば、魚を待てる「余裕」が必要なのかなあ。何か分からない今日の文である。

関西にて惨事が起きた。鉄道の脱線事故。死者50名。けが人多数。亡くなった方のご冥福、怪我をなさった方の回復を心からお祈りする。

それと同時に、アチェ、アフガンに目がいき、そこを助けようとする人たち。この国にもこのような惨事が起きる。この惨事の原因を探る事、あるいはこの惨事を見ること、あるいは何らかの形で自身が出来る事を為す事。これらはあなた方が遠い彼の地にいき、なさる事と等価値であるのではないだろうか?
私達が住むその横にも厳しい現実はある。それを見る事、それに対しアクションをおこす事も必要なのではないだろうか?関わり方は一つではなく、そのどれかのみが賞賛されるべきではない、と私は思う。
本日のお勧めリンク
http://www.nhk.or.jp/nhk-archives/ (NHKアーカイブス)
http://www.nhk.or.jp/museum/ (NHK放送博物館)
http://homepage2.nifty.com/kuromisu/ (黒御簾の世界 黒御簾(下座音楽)の専門家のサイト)

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