2005年4月26日(火)
 福知山線脱線事故で亡くなられた方のご冥福を深くお祈りすると共に、怪我をなさった方の回復を心よりお祈りいたします。そしてJR関西の方々はじめ、関係者の方々、懸命に、しかし無理をなさらぬようにお祈りいたします。
no.4 看板建築 藤森輝信(文) 増田彰久(写真)
看板建築

藤森輝信 (文)

増田彰久(写真)

三省堂 
1600円+税
 
1999年発行
上記画像は
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今、まちを歩く楽しみの素


川口写真集(管理人撮影)
A B C D
今日は趣向を少し変えて写真を載せてみた。見ても分かるようにこれは埼玉県は川口の写真である。Aの写真の川口駅の看板、これは恐らく鋳物である。それを作っている人の像、これがBである。川口と言えば鋳物でその名を知られた街。邦画の名作の一つ、吉永小百合主演の キューポラのある街の舞台となったのもこの街である。鋳物についての一冊は明日紹介するとして(05年.04.26 鋳物のお話)今回の本はC,Dの2枚の写真に関係する一冊の紹介である。

このような建築様式「看板建築」という。都内、若しくは埼玉県内(川越等)で目にする事の出来るものである。散歩好きの私も歩くたびに見るこの建築物「何だこりゃ?」という思いで見てきた。
このような建物に「看板建築」と名付けたのがこの本の著者である。この本はその著者による、看板建築の紹介本である。多くの写真資料があり、そして看板建築の特徴でもある間取りの考察も、間取り図を用い取り組んでいる。それでいて文章は平易である。

この本の凄い所はその着眼点とその行動力であろう。街を歩き、誰もが「面白いなあ!」と思うものを丹念に調べ、それを学問の世界で発表しその概念を定着させる。それできて素人にも分かりやすいこのような本も著作するのである。

見て楽しい、それでいてまちを歩く時に新たな楽しみ方も獲得できる一冊である。

一つ注意しておかなければならない事がある。それはこの本で出会う看板建築の建物の多くが無くなりつつあるという事実である。都市は変わり行くものである。その中で極端に古いもの、新しいものは生きる道があるがこのようなその中間層とも言える文化財は厳しい状況に置かれる。これを必然と言う事もできよう。それを非難する事も出来よう。それはこの場では議論する事を控えるとしても、『今、まちを歩く時の楽しみの素』になる本である。

追記
また、この看板建築をかつての友と歩いた時、何故ここまで平面化する必要があるのか?と聞かれた事がある。その時は明確に答えられなかったが、看板の意味と更に言えばその広告効果を考える際にネットのサイトを考えてみればいいのではないかと思うのである。サイトにバナー等の広告を貼る際のスペースはある程度あったほうが貼ることは容易である。それに加え、そのサイトに来る人が多ければ、サイトから広告収入を得ることは容易になる。この看板建築も、その建物が人通りの多いところにあれば、宣伝効果も高くなり、このような建築様式が生まれると推測する事も出来るのではないかと思うのである。
今は言葉の届かないかつての友へ送る。


看板建築の傾向 (本書より考察)
(0)ファザード(建物の前面)が平面であり、銅張り・タイル張り・モルタル張り等様々な素材で仕上げられている。
(1)住居と店舗の併用型の建物、木造
(2)屋根裏部屋(マンサール式の存在)
(3)デザインは勝手気まま(大工の棟梁、絵描き、施工主等によりデザインがされる。)
今日のあれこれ
午後1時現在、死者は計73人、負傷者は441人(読売記事より)

・昨日から大阪にあって事故の報道を見ていて東京との温度差を思った。朝日放送の今朝の『コール』ではキャスターも解説者も涙を隠せなかった。ひょっとすると自分や縁者が乗っていたかもしれないという気持ちがそうさせるのである。
(さるさる日記 勝谷誠彦臨時革命ページ本日付日記より)

今回のJR福知山線の事故に関する記述である。


今日はここで「冥府魔道」と言う語について書こうと思っていた。「子連れ狼」の中で出てくる語である。これを私は「一人で生く覚悟」を表す語だと考えている。人は「人間(じんかん)」というように一人では成立しない。しかしどこかで自身を持つ上で一定期間ある集団から離れ「一人で生く」覚悟が出来なければ、結果、組織に飲まれてしまう事になるのではと思うのである。すべての世界から疎外される事はないと信じたい。本当はそこまでの覚悟がいるのかもしれないが…
いずれにしてもある組織集団の中で自己を持ち生きていく上での自分なりの覚悟である。

自己を持つ。こう思ったのは私も最近、近しい人を突然亡くした事に起因する。温度差、体感する。それほど死は遠く、また想像に難いものであった。常に死を意識する。それを推奨する人も多くいるが、やはり私たちはそこから少し目を背ける。今回の事故、私自身はその友の死と重なり、複雑な思いで見た。(あの取材、あれはどうにかならないものか??)
だからこそ生きる中で自己を持つ、それなりの覚悟がいるのかなと思うのである。それが私にとっては「一人で生く」覚悟だと思う。

JRの方を見ていて、山崎豊子の「沈まぬ太陽」を思い出した。この本は1985年(昭和60年)御巣鷹山での日航機墜落事故をモデルとした小説である。確かに企業としてのJRのあり方には今回疑問を持つ。ただその中で企業という生きものの中で追い詰められる人が出る可能性、それも怒り、悲しみつつも考えなければならないとふと感じた。
なんにせよやり場の無い思いである。

祈り、そして自分なりに直接的ではないかもしれないが、出来る事をする。
本日のお勧めリンク
http://www.tatemonoen.jp/(江戸東京たてもの園 看板建築の建築物も展示されています。)

http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-index.htm(日航機墜落事故 東京-大阪123便新聞見出しに見る15年間の記録)
http://pya.cc/com.php?comid=6856(pya!より日航機墜落までの経緯再現フラッシュへのリンク)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050507it06.htm
(5月7日 読売記事 御巣鷹山と今回の事件がこうつながってしまいました)

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