2005年4月28日(木)
no.6 職人技を見て歩く 人工心臓、トイレ、万年筆、五重塔… 林光 著

職人技を見て歩く

林光 著


光文社 
700円+税
 
2002年発行
上記画像は
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過去から現在までのすべての技術者を数え上げると、その9割は実はまだ生存している。 
(本書より抜粋)

 この本で取り上げられる職人。彼らが作る物は題名にあるとおり、人工心臓、トイレ、万年筆、五重塔、果ては大学…。我々が職人と聞いた時に思い浮かべるのは、菓子職人、染め物の職人、陶芸家…。長い伝統を持つ技術を保持する人を思い浮かべる事が多い。その職人像とこの本で取り上げられる職人像、これをつなぐのがこの文であると私は思うのである。

 五重塔を作った職人を紹介する中でこのような箇所がある。

【「いつの時代でも、外国から伝来した仏教は最も新しいものだったのです。だからこの塔も今もっとも新しいものにしたいんです。形は昔からのものですが、外も中も最先端の集合です。僕は『今風』が欲しいんです。復元じゃ意味ありません。踏まえたものは踏まえつつ、新しいものを加えたものが造りたかったんです。…(中略)…百年、二百年たったら古式を尊ぶ未来の日本人によって国宝に指定されるでしょう…(中略)…歴史はここに始まっています】

職人は決して過去のものではない。ノスタルジックなものでもない。過去を受け継ぎ今生きている存在である。そしてそれが今の日本の技術を支えているのであって、その連続性は切れてはいない。それを実感させる一冊である。

 私達が古いとみなす職人さん、そしてその職人さんの技にも今が生きている。例えば藍染めの職人さんは今藍染めをする際にインデコピュア(人工藍)を用い、またその作業の中で以前は発酵を用いていたのを化学反応を用いたりもしている。昔からの技術の中にも今は取り入れられている。だからこそ残る側面もある。
 
 資料的価値を考えればそれは邪道なのかもしれない。また過去の技術も伝承も勿論必須であるし、職人さんもそれは熱心に取り組んでいる。しかし職人さんは今を生きる。その中でそれに対応し技も変化する。職人さんのわざが生きている限り、それは寧ろ必然であるのではないだろうか?それは決して過去の断絶ではない。こういう側面でも冒頭の文の通りだと私は思うのである。

 
 過去そして現在につながる職人、そしてその技、それは身近なところにもある。それを体感できる、そして更に「こんなものもそうだったか!」と新たにものへ愛着、そしてこだわりが持てるきっかけとなる本である。
物との新たな関係を作ってみては?

参考(この本で取り上げられた職の分野10)
1.人工心臓 2.五重塔 3.プリンターインク 4.自動車のエンジン 5.トイレ 6.送電鉄塔 7.AIBO 8.大学 9.万年筆 10.焼き物

追記
 藍染め職人さんのわざについて後日出来れば紹介したいと思う。
埼玉では八潮、草加(長板中型)羽生(青縞)等にその技術が伝わっている。
今日のあれこれ
 「まず茶碗を洗いなさい」
 私の好きな禅のエピソードの一つである。あるエライ坊さんの所に修行をし悟りをひらきたい、といった人に対し、その坊さんの一言がこれである。「まず茶碗を洗いなさい」
 
 何か問題にあたった時、自分の中でその問題はどんどん雲のように大きくなり、考えもどんどんどんどん深みにはまる事がままある。事実、自分では手に負えないな、と思われる問題にも山とぶち当たる。さあどうするか?その時に自然と思い出すのがこのエピソード、この言葉である。
 「まず茶碗を洗いなさい」
当たり前のことなのかもしれない。ただそれが見えなくなってしまう事というのは結構あることだと思うのである。そしてその当たり前の事こそ実行するのが難しい。
当たり前の事が出来ず、悔しい思いをした事は無いだろうか?
それに対してもこの言葉は訴える。「まず茶碗を洗いなさい」

自分も五里霧中。だからこそ自分に言い聞かせ、そして変化を起こしたい。
「まずは茶碗を洗おう」…今出来る事は何か?と。

本日のお勧めリンク
http://www005.upp.so-net.ne.jp/minbun/ (埼玉県立民俗文化センター 日本で唯一のわざの博物館)
http://www.pref.saitama.lg.jp/A20/BK00/hogo-seibi.htm
 (埼玉県教育委員会内 「県立博物館施設再編整備計画について この民俗文化センター含め、県の博物館を半分以上減らそうという県の博物館政策に関するページ)

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