2005年5月11日(水)
no.19 一言絶句 幻の創句ふたたび 永六輔 選者
一言絶句
幻の創句ふたたび

永六輔 選者

光文社 
1223円+税
 
1997年発行
上記画像は
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言葉の窓、創句

 創句。この「そう」には様々な意味がある。「想」「槍」「走」…。創句。具体的に言えば、「俳句のようなもの」、短文なら何でも創句になる。永六輔といえば、そのお家芸とも呼べるものの一つに「無名人語録」がある。旅先等で聞いたその一言を集め、語録にする。その流れを汲むもの、それが、創句なのではと思うのである。

 選者の永六輔は、最初、ラジオ番組のコント作家から世に出ている。その中で彼は投稿された作品を選ぶ仕事もするわけだが、それに関し、こう言う。(以下、生き方、六輔のより)

 ・(コントでは)三行を目安にしていくつって数えた。「日曜娯楽版」はね
 ・削り落とすっていう意味では、下手くそな俳句でも作詞でも同じですよね。コントでも。どれだけ言葉数を少なく相手に伝えるからだから。

※日曜娯楽版:彼がコント作家として活躍したラジオ番組

 そんな彼だからこそ、生み出せた企画、それが創句ではないかと思うのである。


 「ありがとう」
この言葉をあなたが聞いた時、この言葉はいつ・どこで・だれに・どのように言われたものであると考えるだろうか?ある人は別れでいうかもしれない。ある人は店頭でいうかもしれない。情事の後かもしれないし、心では憎いと思っている相手に苦虫噛み潰して言っているかもしれない。言葉に込められる意味は人それぞれであり、その言葉のでる状況も様々である。

言葉は曖昧なものである。
これは言葉の限界でもあり、言葉が持つ可能性でもある。


伝わらない事に限界を感じ、人はその言葉を綴った文を磨く。昨日、一昨日と紹介した本が生まれた背景にはその事があるのでは、と思う。
そして又、言葉は同じ単語でも様々な意味を伝える事が出来る。時、場所、相手、手段という要素が加わる事で普段以上の意味を伝えられる事もある。

創句はその言葉の特性を活かしたものである。その身近さ、短さが活かされ、一つの創句から人は様々な世界を覗く事が出来る。「ありがとう」この言葉から、様々な世界が覗けるように、創句から様々な世界が覗ける。それは即ち、「言葉の窓」である。


悪魔とは、人間の事だろう。
天使とは被害者の事だろうか。

亡父を語る生徒の膝に置いたかたい拳

ため息で作った
シャボン玉さえ飛ぶのか

立つ鳥アトランダム

「だから、何?すべてが終わる呪文
だから、何?」

つまらない人間ばかりだと思っていたら
私が一番つまらなかった


この本に収録されている創句である。これらから私は、今回の福知山線の事故を想いまた、自分の今後を思い、あるいは自分の経験した別れを想った。
このようにたくさんの言葉の窓がつまった本である。あなたの言葉の窓を捜してみて欲しい。


言葉やっかいなものである。でもこれ以上素晴らしいものもないのではないかと思う。
そして死ぬまで付き合っていかなければいけない奴なんだなと思う。
今日のあれこれ
今日は西武・中日戦を見にドームへ。松坂登板で観賞。久し振りの無四球勝利だった。
野球を見て想うのは、ここ何年か、監督の条件にその人の人当たりが入ってきた事。どんな優秀な監督でもそれがないと勝利に結びつかないのかなと感じる事が多い。阪神の野村監督、オリックスの伊原監督、横浜の森監督…。
プロフェッショナルならそういう事とは別に仕事は仕事でやる、という事はできないものなのかな、と思う。
上司が気に入らなければ、部下が気に入らなければ、仕事がうまくいかない。

バカの壁なんて本も流行ったけど、そういう所、プロ意識というか、大人として振舞う必要があるんじゃないかと思った、野球を見た一日。
本日のお勧めリンク
http://www.hogaten.com/ (朗天狗(ほがらてんぐ)・ブックドクターあきひろのページ)

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