プロ野球を彩る選手以外のプレーヤーの物語
プロ野球の審判。良く考えてみれば大変な家業である。ここ数年、誤審が取り上げられる事が多い。プロ野球好きの私もひいきのチームが誤審で不利な目にあえば腹を立ててきた。でも考えてみればミスの許されない仕事、それが審判である。
『人間だから間違えることはある。しかし審判は間違えちゃいかんのだよ』
元日本ハム監督の上田氏の言葉だそうである。
おそらく、私もそして多くのファンも同じように思っているのではないだろうか?
これに対する審判の人のコメントを読みはっ!とした。
『俺たちは人間以下か、と思いましたよ』
人である以上、ミスはある。その前提にたち様々な防止策がとられている筈である。原発にせよ、医療現場にせよ、鉄道にせよ…。そんな当たり前の事が気付けなくなってしまう事もあるんだな、と痛感した。ミスをしてはいけない、のだが、その際、ミスの存在を想定しなければ、ミスの起こった際に対処ができなくなるのに…。
「危機管理」なんて言葉の重さを改めて感じる。
さて本に戻る。審判のミスとは何なのであろうか?
今日のリンクに「公認野球規則」の全文へのリンクを載せた。審判はこの規則に沿って試合を進めていく。という事はこの規則に合わないジャッジをした場合、それはミスであるということができようか?
しかし法律にも解釈があるように、規則にも様々な解釈が存在する。プロ野球で顕著なのはピッチャーの投球の「ボール」「ストライク」の判定だろう。これが審判により異なる。それをミスというのだろうか?
更にいえば、ベース上のアウト、セーフの判定、ボークの判定、審判各自がその目で判断する。そこに個人差が生じる事、その差をミスと呼べるのだろうか?
これは紛れもなく審判の個性であろう。
江夏を始め、多くのかつての名選手たちは審判のそういう癖も踏まえたうえで、お互いそこでも「勝負」が合ったと語っている。むしろそれが自然なのではないかと思うのである。そして私たち野球を見るものも野球を見る際に、「審判」という新たな要素を加えてみてば、また新しい楽しみが得られるのではないだろうか?
この本では人間である「審判」の姿が描き出されている。読めば読むほど、大変だなあと思う。審判も選手と同じで年間契約、しかも年収はおおくて1800万前後だという。また、先に触れたルール、これも全部覚え、しかもそれを瞬時に適用していかなければいけない。更には選手から暴力を振られたりもする。(私たちは乱闘といっているが、理由はこれも先に述べたとおり、必ずしも「ミス」とは限らない。理不尽な場合も多々ある、ということである。)そして究めつけはおトイレである。審判は試合中原則一回、それも2,3分しかトイレタイムがない。それで下痢をした場合…エピソードが載っているが大変である。
こんな感じでこの本では、野球というスポーツを作り上げる選手以外のプレーヤーに光をあて、それを克明に描き出している一冊である。野球好きに限らず、物事を様々な視点で見てみたい、そんなあなたも是非本書を読んでみて欲しい。