今日は雑感のみ。
今日はほぼ完全に自分の為にこのスペースを使いました。
読んでも面白くもなんとも無いと思いますので…。お気になさらずに。
よく理屈っぽい、頑固だ!と言われる。それでいて話すのが苦手だったりする。
何でか?人に自分に対し嘘をつきたくない。だから人と話す時に「自分の自分たる部分」まで相手の言葉を届けてから、そしてそこで考えてから相手に伝えたい。
でも、会話の難しい所って流れる所。これって本当に難しい所だと思う。
だから、それは訓練で何とかなる、という養老さんの本や、ズーニーさんの本を読んだ時、救われた気がした。
何故、時たま雑感を書くか?
二つ理由があるのかな、と思う。
自分は10年ちょい剣道をやって来た。しかし、怪我に泣かされる事が多かった。疲労骨折の疑いで休んだり、腰痛で休んだり、アキレス腱を切って休んだり…。結局高校の時は他の人の半分位しか体を動かせる時が無かった。そこで学んだ事は見学の仕方、指導の仕方、そして考えた稽古の仕方だった。
総合力ではどうしったって時間が少ない分見劣りする。だからそれを挽回するには…考えたのである。休みの見学を練習につなげるようにしたり、自分の苦手な技を分析したり…更にそれを実践する場として後輩への指導をしてみたり…。ここで考える事が癖になったのかもしれない。
更に大学に入るにあたり、数年浪人をした。俗に言う宅浪だった。ペースメーカーも無ければ、仲間もいない。終わりの無い(実は毎回刻一刻と試験は近づいているのだが)日常。そんな中で出てくるのが「不安」である。そんな時、ある本で学んだのが「不安を書く」という事だった。
「不安」にはそれが何か?分からない為に不安になる事が結構ある。その本にはそういう風に書いてあったと思う。でも確かにそうだった。
書いてみれば、「彼女がほしい」だとか、「遊びたい」とか「太った」とか「家庭の問題」とか不安の要素はいくつもあるのである。それが漠然として一つの大きな不安だと…混乱するのである。
対処方法も分からなければ、自分が何を不安視しているのかも分からないから。
そして今、何か壁にあたると「書く」つまりそうやって自分を見る事が多くなっている。
では今自分の不安には何があるのか?
一つには問題を起こした彼女との関係の事だろう。
自分の中に誤解されている、という思いがある。だから別れにしても割り切れない。未練なのかもしれない。恋愛感情があったこともあるが今は一人の学び手の彼女が心配である。(大きなお世話だが)
どうすれば解決するか?
今回は彼女に恐怖を与え、その結果彼女は多くの人に頼った。身内、指導者…。結果自分はある形で責任をとる形になっている。それを打開するには彼女からの接触、或いは周囲の行動を待つ、という自由しか残されていない。そこが自分のつらい所。
周囲は動く、もうすぐあるよ、と言うが結局動きはない事への落胆。この落胆も辛い。
もう一つは責任の取り方。図らずも自分を否定しなければならなかった。この打開で更にそれを強いられると思う恐怖もある。
他。人を好きになる事への恐怖。図らずも今回の一件でその重さをいやと言うほど知った。住む世界の狭い自分。その中で人を好きになる事がどれだか場合により周囲に迷惑をかけるか、それを知ると正直動きが取れない。人を好きになってはいけないのでは、と言う思いがある。
だからこそ、まずは今回の事に蹴りをつけたい、という事がある。
他。集団の事。自分の抜けた後、集団は崩壊した。見事にである。集団と自分の関係について考える事が多い。彼女の身内は私の事を「ボスザル」と呼んだ。その二つを考えた時、集団への接し方について考える事があると同時に、そう言いながら立て直せない、一部の人に正直失望感を感じた。熱が醒めた。約束を守らない(マナーのレベルの事まで)、話し合いは出来ない…。そういうことへの怒りが一気に出てきた。
でも正直、そこへの愛着もある。でも正直これを直していくのは困難。どうするか?これも一つ。
人とのつながりも怖い。孤独と依存と不安…。
学びをどう創っていくか、もこれはそんなに難しくないが考え中である。
ただ、複数で、今までにない形の学びの作り方、この必要性を感じながらも作っていけない、自分にもどかしさを感じてもいる。
なんて書いているうちにじゃあどうしようか?と思えるようになる。
誰かが読んで何とかしてくれるだろうという都合のいい気持ちもある。
相手(彼女)にここのサイトの存在を知られたらどれだけ楽か?と思う。
通じない事の壁はある、と思っているから。それで動かないストレスもあるから。
そんな事を思い書き綴る今日だったりする。