今日は8月12日。今年の5月に兵庫県で起こったJR福知山線での事故。その時に次のような記事があった。
2両目の衝撃「御巣鷹」墜落に匹敵(5月7日読売)
兵庫県尼崎市のJR福知山線の事故で、犠牲者が集中した2両目の車両には、航空機事故が想定する人間の「耐G(重力加速度)能力」を大きく超える、数十Gの衝撃が加わっていたことが7日、国土交通省などの解析でわかった。これは、1985年に群馬県・御巣鷹山で墜落した日本航空機事故で、4人の生存者がいた機体最後部が受けた衝撃に匹敵する。(以下略)
(参照
http://www.yomiuri.co.jp/features/dassen/200505/da20050507_41.htm)
その時にも取り上げたが今日はその御巣鷹山での事故から丸二十年の今日である。テレビではいくつかの局でそれに関する番組が組まれているが当サイトも区切りの日、この件を当サイトなりに取り上げてみたいと思う。
http://pya.cc/com.php?comid=6856
(pya!より日航機墜落までの経緯再現フラッシュへのリンク)
テレビでもボイスレコーダーを取り上げているが、このフラッシュから受けるものも大きなものがある。今日と言う一日を過ごすにあたってせっかくPCを立ち上げ、ネットにつないだのだから、見てみてもいいのではないかと思う。PC、そしてネットを使っての20年前の振り返りとでも言う事が出来ようか?
更に当サイトは本の紹介サイト。本、そして御巣鷹山といえばこの作品である。
この作品、正にこの日本航空機の事故を詳細に取材し書かれた一冊である。ただこの作品、出版後、様々な論議を醸し出した作品である。そういう意味で真実であるとは言い難い。(小説であるとすれば問題は無いと思うが)ただ、この事件に入っていくきっかけとしてはオススメのできる一冊である。
ただ、ただである。この本を読む場合も、この本に明確にされる主人公・善、一部の経営者・悪という構図をそのまま受け入れるのは危険であると私は思うし、それは作者に対しても酷であると思う。その判断は寧ろ読む我々に科された責務であろう。
それは他の出来事も同様であると思う。様々な批評家、コメンテーターは何か言う。しかし自分の答えはそこにはない。自分の答えは自分で考えて出すしかない。当たり前の事である。自分の頭で考える。そういう事をこの本にまつわる周辺の出来事を見ても考える事が出来る。
そしてこの「自分で考える」事こそ、今私達に求められている事ではないだろうか?
8月12日。様々な番組がテレビでは放映されている。
そこから何を考えるか。答えはそこにはない。
答えを出すのは自分自身である。生きているのだから。そう思いながら今日を過ごす。
そして…今我が国の転機が近づきつつある。今回の選挙、これも一つの分水嶺であろう。
自分で考え、自分の将来に責任の取れる行動をとる。
考えたくない、勿論それを否定はしない。それに対し貴方が責任を取れるのなら。
後で何かを言っても手遅れになるかもしれない。そんな時、少し考えてみようか、と自分は思っている。
そしてその政治の世界を見ても、この本で書かれているのを見ても、やっぱり人間って深いんだなあと思う。きれいな深さ、醜い深さ、様々な深さがあるんだと思う。だからこそ怖くもあり、面白い。だからこそ自分は人を愛するし、人と関わる事を止めたくないと思う。…と最後はいつもお決まりのコミュニケーションに関する記述へ移った所で今日は筆をおきたい。
本(現在読んでいるもの)
「身体感覚を取り戻す」「愛するという事」
読み次第紹介予定。