2005年8月27日(土)
no.48 木を植えた男 ジャン・ジオノ 原作 フレデリック・バック 絵 寺岡襄 翻訳
木を植えた男

 ジャン・ジオノ 原作
 フレデリック・バック 絵
寺岡襄 翻訳

あすなろ書房
1680円
1989年
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人の生き様と孤独と

 人はどこかで「孤独」であり、それを恐れる。しかし、人はどこかで一人ではない。人が一人でない時、人は人と人の間で生きる存在、「人間」になる。

もう嫌になる、生きていくのも辛くなる時がある。そんな時、私が襲われるのは言いようもない恐怖、そこにあるのはやっぱり「孤独」である。「死」を目の前にした「孤独」、無理解という「孤独」。そんな忘れたいような「孤独」の中にここの所、よく突き落とされる事が多い。それは無意識に自身が招いている事でもあろう。
そうすると嫌でも「孤独」について考える事になる。


 さて今日紹介する本である。
この本、題どおり、木を植え続けた男の話である。何があろうとも、如何なる困難にぶつかろうとも、ただひたすらに木を植え続けた男の話である。その凄さを感じる事は出来るだろうか?自分の身近な事に置き換えてみて欲しい。

例えば…さだまさしの「償い」という曲がある。この曲の主人公は誤って交通事故である人の命を奪ってしまった。それを償う為に、周りから何を言われようとひたすらに送金を続ける。

更に…自分が傷つけた人に対し、その人の存在を気にかける事が自分にとって何のプラスにもならない、他の人間関係は崩れ、学びの機会は失われ…それでもその人の事を考え、行動出来るか?自分などは自問自答する事がある。

その中では勿論、「孤独」が口を開く。その中で生き続ける事になる。


この本も一人の男を通し、生きること、孤独と向かい合う事について扱っている。
例えば次のような記述がある。

そのころわたしも、十代半ばでありながら、
一人さびしく生きていたので、孤独な魂とひびきあう
こまやかな心を持っていた。でもやはりまだ若かった。
わが身のの幸せと将来の夢に、とかく気をうばわれがちだった。


この若者と響きあったのが、この主人公の男である。
そして彼は次のような男である。

男はほとんど口をきかなかった。−孤独の人とはそうしたもの。
それでかえって、その存在を、つよく人びとに植え付けるものだ。


魂の偉大さのかげにひそむ、不屈の精神。心の寛大さのかげにひそむ、たゆまない情熱。
それらがあって、はじめて素晴らしい結果がもたらされる。

この作品では彼の「木を植え続けた事」は最後偉大なる成果をもたらしている。それは地位、名誉を求めてのものではない。彼がひたすらに、それを自らのミッションと決め、続けた事が結果としてここでいう「素晴らしい結果」をもたらしているのである。

ただ私は思うのだが、この結末は絵本だからであり、そのハッピーエンドに救いを求める事は敢えてしなくてもいいのでは、とも思う。
それに癒される事は間違いなくなると思うし、励まされる事もあると思う。ただそこに留まらず、更に考えてみるのもいいと思うのである。よくこの本は環境保護の観点から語られたり、又、教科書で取り上げられたりする。
このように様々な読みがなされている本書だが、そのどれもが否定されるものではない、どれが間違った読み方、というものは無いと思うのである。


そう考えた時にやはりここでは如何に生きるか?孤独と如何に向かい合うか?この二つのキーで読む事を当サイトでは紹介したいと思うのである。

時代はその時々で、様々にその流れを変える。その中で人がある一つのものを持ち続ければ、それはある時は時代の流れに抗する事にもなる。更に一つのものを持ち続けることは時に大きな孤独を生み出す。主人公はその中でも「木を植え続ける」のである

その強さは何処に由来するのか?はたまた孤独とはなんなのだろうか?
そんな事を思わず考えさせられる、それでいてその結末がそれを癒してくれるそんな本である。

ちなみにこの話は事実ではない、創作である。しかしそれが事実である無しに関わらず、大きな示唆を与えてくれる。

というのがこの本のこのサイト流の紹介。


さてここで少し視点を変えて見たい。
この本は絵本である。
そしてこの絵はかつてアカデミー賞を受賞したこの作品を映画化したアニメよりとったものである。
それだけに流れるような、風を感じさせるタッチで描かれている。その絵を見るだけで価値があるとも思うのだが、つくづく思うのは絵本という形についてである。

絵と文も両者が有る事により普段文庫本などを読むのとは全く違った読みになるのである。
更に声を出して読むとそうである。

一つは文を読む速さである。
絵を見て文を見て、それらが相互補完性を持つ為に、結果普段より文を読む速度が下がり、それだけ味わえる可能性が出てくる。また、声を出し読む事も同様の効果を持つ。

又、文が簡略な分、絵に注目する。
そうすることにより、文だけでは表せないものを感じる事も出来る。

この本などはその絵と文の相互補完性がいいほうに働いた好例であろう。


更に児童文学は文が平易な分、読み手の自由さがあるのではと思うのである。今回わざわざ、このサイト流の紹介、読み方に否定されるものはない、と書いた理由はここにある。

(論理的な文とは違う、という事。あえて読み取らなければならないとすれば、彼が如何に木を植え続けたか、本に書かれているこの事であろう。)

この前に紹介した「わすれられないおくりもの」とはまた違った感じの風を持つ本である。
是非手にとってページをめくってみて欲しい。
今日のあれこれ
実はこの紹介文、昨日から書き始めました。昨日で司書教諭の講習が終わり、昨日はオフと思っていたのですが、昨日一つのドラマを見ました。
それはフジテレビ系で放送されていた、金曜エンタテイメントの「星に願いを」を見たからです。

個人でプラネタリウムを作った方のエピソードでしたが、それを見ていて「孤独」というキーワードが浮かびました。プラネタリウム作りに熱心な主人公はガールフレンドにいつもプラネタリウム作りに一心の貴方といる事は時にとても疲れる、というような事を言われます。

そこから主人公は「孤独」と向かい合っていくのですが…。
今日の本の紹介の書き出しは、そのドラマを見ての感想でもあります。
なんと無しにこのドラマを見ていてこの本の紹介文を書いてみたくなったのです。一つのものを目指す時に感じる「孤独」それが何かを考えてみたくなったのです。

単に恋愛がしたいだけなのかもしれません。
もっと俗っぽい事を言えば気持ちよくなりたいだけなのかもしれません。
でも、今孤独を抱えているのは事実、そして、その孤独を語るものが二つ続いた。
そんな中での今日の紹介でした。

さてここからはがらっと文章を変えます。


皆さんはこれを見た事があるだろうか?
日本の借金時計(http://www.takarabe-hrj.co.jp/takarabe/clock/
今貴方がこの拙文を読んでくださっている時にも、こんなにも早く日本の借金は、私達が負わなければいけない未来への宿題は増えていっているのである。

郵政、郵政と騒いでいるが、すべての改革の原点は、これをどうするか、という事でもある。
実際、この時計を見て、それから各党の政権公約をみるなりして欲しい。

もう一つ。
橋田信介氏をご存知だろうか?
彼はイラクで無くなったジャーナリストである。
彼の遺族がある裁判を起こした。
それは現政権の政治での理・筋道を通していない事を露呈させた。

http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20050824(経過説明1)
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20041020(経過説明2)

http://www.asahi.com/national/update/0823/TKY200508230335.html(朝日記事)

現政権を支持しないわたしの理由はこのように筋・理が通っていない、若しくはそう思える事が余りにも多いからである。これは選挙云々ではない。事実である。
判断するに当たり、事実は見る。これは国民として、いや生き残っていく為の生命としての最低限のことであろう。
本日のお勧めリンク
http://www.segatoys.co.jp/homestar/index.html (ドラマのモデル大平氏が関わっている製品)
http://www.megastar-net.com/ (大平氏のサイト)
http://www.nro.nao.ac.jp/~lmsa/outreach/papermodel.html (おまけで…天文台のペーパークラフト)

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