2005年8月29日(月) |
no.49 山のいのち 立松 和平 著 伊勢 英子 絵 |
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山のいのち
立松 和平 著
伊勢 英子 絵
ポプラ社
1260円
1990年
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生のつながりを感じさせる絵本
今日で絵本の紹介はひとまず最後である。他にも紹介したい絵本はあるのだが、それはまたいずれ…。今回は学校の司書教諭の講習で取り上げられた3冊の紹介をした。今日紹介する一冊。これは一つのエピソードに魅せられての紹介である。
絵を描いた伊勢氏はこの絵本を描く為に、実際に作者立松氏が構想を得た四万十川の周辺へ行き、そしてそこの緑を見て、「これだ!」と思い、そして四万十川の水で絵の具を溶き、この絵を描き始めたという。このエピソードを講師の方より伺ったのである。
そのエピソードを聞き、一冊の本に対する思いが非常に強いものになった。そうすると同じ作品でも思い入れが違うのである。
更に言えば、この作品、作者立松氏にとっても意味深い一冊である。立松氏は以前、盗作をした、という事で自身、大きな試練を受けている。そんな氏の絵本での処女作が本作である。文からも、そして絵からもそれぞれの創作者の息が感じられる一冊である。
文の立松氏はこう言う。
やっぱり生命というものを書きたかった。子どもの命と、あとは自然の命というのかな。自然には生命と同時に死というものがありますよね。そんな自然に近い人たちで物語を作れないかと思って。すると当然登場人物は子どもと老人になるわけですね。死にゆく生命というか、生きて死んでいく生命。自然の中の生と死を緑あふれる世界の中に書きたかったの。もう一つは命のはかなさと、せつなさと、美しさと、そういうものを書きたかったの。
@ @ @
捨てられた老人、捨てられた子ども、それが自然の中で回復してくる、そういった力を僕らはもっと信じていいと思ったんです。
絵の伊勢氏はこう言う。
私は最初に原稿をいただいたときに、絵を描く余地なんか全然なくって、完全に文学の世界だったからどうしようかなって思ったんですよね。どうやって太刀打ちしたらいいのって。
@ @ @
インタビュアー:最初原稿だけだった時、絵は説明になっちゃいけない、絵は説明になっちゃいけないって、呪文みたいにおっしゃってましたものね。
伊勢氏:それはもちろん、どの仕事だってそうですけれど、あれだけ完璧な文章に対するとしたら本当に説明になってしまう可能性があるんですよ。なんとかはりあえる絵というと……(氏はこの前で原稿を渡され時に絵にする余地もなかった、と言っている。)
(以上、本付属冊子より引用)
これらの言葉を読んでいても、やはり、両者の絶妙な「間」というか力の均衡と、息を感じさせられるのである。この本はテーマは「生」そして「死」であるが、この本自体からも両者の「生」の息吹が感じられるのである。この本から本の内容以上のものを感じる事が私は何となく出来たのである。
更に言えば、この言葉は私が今回、紹介してきた2冊の絵本「わすれられないおくりもの」「木を植えた男」の中で述べてきた絵本に対する考えに少し通じる所があると思う。絵と文の関係である。この絶妙なバランスが取れた時、このジャンルの名作が生まれるのでは、と思うのである。
さて、では本作の内容の紹介に入ろう。
本作のテーマは先にも述べたとおり「生」と「死」である。都会でのマンション生活。そこで引篭もり、外との世界とのつながりを切った一人に子どもが父の故郷の祖父のところに預けられる。祖父は少しボケていて、孫と自分の息子の区別がつかない。そんな二人の生活。その中でその子は生命に近い生活をしていく。畑からとった野菜を食べ…。また生きていた動物を殺し、それを使い漁をする場面にも出会う。そんな中でその子は生命のつながり、尊さを学び、自身と「生」とのつながりを取り戻していくのである。
美味しんぼの中でのテーマの一つに食の原罪というものがある。これは命を頂く、という事が食の大前提にある、という事を指したものである。この本でも同様に、生きていく上での「生」のつながりを語っているのである。
私たちの生活は様々な「つながり」が失われていると、私は思う。過去とのつながり、地域とのつながり、他の生とのつながり、学問領域のつながり…。その中の一つ、もっとも大事なつながりについてこの本は考えさえてくれているのでは、と思うのである。
絵と文の良作を文のみで紹介することは非常に難しい。
是非、手にとってあなた自身の目でこの絶妙なコラボレーションを体感して欲しい。
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今日のあれこれ |
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何故か、思う事の許されない事を思うからか?許されない事を恐れるのか??
孤独という一つの真実であり、大いなる誤解が産む恐怖だろうか?
分からない事を分かろうとする事による恐怖だろうか?
でも、今日という一日を感謝しつつ…
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本日のお勧めリンク |
http://www.cello.jp/cellist/ise/(伊勢英子のページ ※本人のサイトではありませんが彼女の作品の閲覧が可能です。)
http://www.tatematsu-wahei.co.jp/ (立松和平のページ こちらはご本人のサイト) |