忙しいです。
色々あって、今までの問題、これはご当人の彼女が動き始めたのでなるようになるでしょう。色々こちらとしては腹に据えかねる行動・言動もなさっていますが、もう半年たっています。解決すればいい、と言う感じ。
新しい問題。友人が疲れています。そしてそれにより周りの友人も疲れています。その友人にとって病院に行く、という事はつらい事かもしれませんが、今の現状ではその友人も、その周囲の友人も共に疲弊していくだけで、負のスパイラルが続くような気がしています。
出来る限りの事はしてはいますが…、その実感が無い様で…困っている所。
ある行事をやっています。埼玉の某所にある博物館での企画を担当しています。一ヶ月、土曜の企画を担当していますが、これがなかなか…。今はこれで振り回されている感じ。
こんな中で感じる事。
大学で何を学ぶか?
私の周りで私を理論・約束馬鹿と言う人もいますから、そのお得意の理論で簡単に説明を。
約束…。常識と約束があります。
人の話を聞く。時間は守る。他人に迷惑をかけない。などなどいずれも当たり前の事。一般に社会で通じる事、これは普通「常識」といいます。
「常識」なんてクソ食らえ!
大いに結構。なら人に迷惑をかけず、新しい常識を作るなり、それで生じるリスクを負うべきだと思います。都合のいいときだけ「常識」に頼る、そういう姿勢は止めて欲しい。そこは覚悟だと思います。
ある人が「常識」を守らない、それは自由です。しかし自由の前提には相手に迷惑をかけない、という前提があります。集団に属している以上、自分が常識を破る事により、相手に迷惑を掛けるとしたらそこには合意形成が必要になる、と言う事にになりますよね。
もっと言えば常識が守れないから、その分の「約束」が生まれます。他人に迷惑をかけない、と言う自体、約束にしなければならない、それは正直、問題でしょ。
理論、相手の話を聞くのに最低限理解する事が必要です。それもやはり相手に迷惑を掛けない為に。一人で生きていく事の不可能な今の社会にいる以上、相手の事を最低限理解する事、コミュニケーションを取る事は必須であるといえます。
その中である一定の論理に基づくコミュニケーションがあります。(言語も文法を用いる限り論理的なコミュニケーションである、ともいえましょう)これを理解する為には論理を嫌でも身につける事が必要になります。
勿論、非論理コミュニケーションを否定はしません。しかし大学と言う場はその論理を重んじる所でもあります。そういう意味でも一定の論理を身につける必要はあるのではないでしょうか?
自分の事を認めて欲しい、というなら相手を認める、認知する、それには時に論理も必要でしょ、と言う事
荒れています。実生活につながる事なので意味の分からない事を書いていますがご容赦を。
本の紹介はもう少し待ってください。
復帰しますので。
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