2006年4月20日(木)
no.58 理解という名の愛がほしい 山田ズーニー 著
理解という名の愛がほしい

山田ズーニー 著

河出書房新社
1300円+税
2006年
上記画像はアマゾンへの
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「間」

 
自分のこだわり、という訳ではないが、やはり書き始める時はこの人のこの本から始めなければならないと思い、今日紹介するのはこの本である。「おとなの小論文教室。」シリーズの2巻にあたる一冊である。そのため前冊と同様に、ほぼ日で連載中の「おとなの小論文教室。」に過去掲載された作品を再構成した一冊になっている。

 この本、一言で言えばコミュニケーションにおける「間」について書かれた1冊であると言えよう。コミュニケーションの中には実際相手と通じる場面の他にいくつもの場面がある。


自分の言いたいこと、思いは何なのかを考える場面。

相手のことを思う、相手の立場に立つ場面。

相手と自分以外の他の要素について考え、その視点を得る場面。そこから新たな考えを得る場面。


これらはやはり、コミュニケーションという場で考える「会話」などの合間、若しくは同時期であっても別のチャンネルであると言える。
逆を言えば、コミュニケーションを考えるとき、どうしても「会話」のテクニック、センスなどにのみに目が向き、この「間」の存在について認識することをを忘れがちになる事が多いのではと私は思う。

この本ではそういう場面を、そういう事を考えていると見ることも出来る。

いくつか本の中の節を紹介してみる。

『自分が嫌な事があったとき、それを母にあたった事から思いを馳せ、その自分に嫌な思いをさせた人もどこからか嫌な思いをさせられた、つまり「連鎖」があったのでは?という考えを述べる「連鎖」。』

『生きる実感。それは【体中が熱く、気持ちが昂揚する「喜びの一瞬」の事ではなく】【自分の無意味感から逃れつつ、空気圧にじっと耐えて、昨日と同じ今日を、また同じ凡庸な朝を生きる覚悟、それをうんざりしても、毎日を繰り返し続けていけることこそが「生きる実感」である。】という生きる実感。』


『お詫びの時、それは自虐をし、自己完結で終わらせるのではなく、利他の時間であるべきという「お詫びの時間」』

本ではここから思いは連鎖する事から愛、そして日常を生きていく中、伝わるのが難しい事でも、それがつらい中でも続けていく勇気、そのために自身で愛を様々なところ・ものから持ってきて、それをうまくまわしていき循環させていく、つまり自分で生きていく覚悟の「愛・勇気・覚悟」が必要なのではないか?という話の展開になっていく。

これはとどのつまり一つに集約していく。

「理解と言う名の愛が欲しい」からこそ、
勇気を持ち続け、伝える事をあきらめず、
愛を探し、それを伝えてまわしていく事に取り組み続ける。

そんな事をこの本では語っている。


 いい意味で「コミュニケーション」の本でありながら、よく思われがちな「コミュニケーション」の本ではない、それでいてやはり「コミュニケーション」の本質を突く、いい「コミュニケーション」の本であると思います。

是非、ご一読を!
今日のあれこれ
 
 最近、卒論に取り掛かっています。
そうなる前後から指導教官である恩師によく言われるのがレジュメなどを切るとやっぱり「○○(私の名)の文章なんだよね」と言われます。最初は自分が書くんだから当然だろ!と憤っていた自分ですが…。最近、ある後輩の文章を書く相談に乗りました。その後輩が自分とよく似ていて、書くんです。「○○の文章を」。
それはやっぱりどこまで言ってもその人の文章なんですよね。
練って論理を入れたとしても、それは「○○の流れが」分かるだけで。

私は卒論で温泉について書こうと思っているのですが、やはり師にこういわれました。

「○○の文章は温泉の湯気なんだよね。温泉が見えないで、その湯気でのぼせちゃうんだよ」

と言われて、、、、最近思うのは温泉を伝える事。
思った事であれば、その思いの元になった事実を伝える事。
そして相手にその事実から自分の思いを感じ取ってもらう。

こんな書き方もあるんじゃないかと思って、四苦八苦しています。

そうすると…、ここの紹介文を書くのも怖くなる。
湯気ではなく、温泉を伝える事が出来るか?
そう思うと書けないんです。ここの文章も。

今回は、「本の概説」 「内容分析」「事例」「まとめ(分析とのつなげ)」「おススメ」と言う構成。
変えるとすれば、内容分析と事例の入れ替えかなとも思いつつ。

とにもかくにも、(書き流しと言われかねないし、その批判を受けざるを得ない文だと自分も思うが)久しぶりに書いて見ました。


と言う事でここからはMr.Beppoのきぬこさんからいただいたバトンを。

1.前の人が答えた漢字に対して自分が持つイメージは?

『開』「自」を持ち続けるために必須の事。自分が壁にぶつかったときは今までの自分の世界観の限界からそれは生じている。その時は自分を外の世界に向けて「開」かなければならない、、、というのは僕が大好きズーニーさんの本の中の一節。(理解と言う名の愛が欲しいより)

『会』一期一会。この一言に尽きるかなあ。でも惰性で好きな人にも、普段共に学ぶ人にも接してしまうんですよね。

『介』ふと思いついた語は「介錯」。共にというイメージが強いかな?となると生き方。一人では生きていけない。

○2.次の人に回す漢字を3つ
同音で。
「とも」
「友」
「智」
「朋」


○3.大切にしたい言葉を3つ
「発」発する事。何もしなくても姿を発している事の自覚。自らが発せられた事への感謝。発酵を目指したくもある。
「道」ある事には気づいていたいし、大事にしたいしエゴと隣り合わせでもそこに「何か」あるような気がする。
「他」これが無ければ生きていけない。

○4.漢字のことをどう思う?
古の人の思いを手繰るタイムマシンであり、想像を引き出す宝箱でもある。
そして小学校の時にテストで苦しめられたものでもある(w
後は…噛めば噛むほど味の出るものかな?

○5.最後にあなたの好きな四字熟語を3つ教えてください
『沈思黙考』今回のテーマにも通じるコミュニケーションの「間」にあるもの?
『堅忍不抜』いつかは又晴れる日が来るから〜ああ川の(以下略)
『晴耕雨読』こうなりたい。

○6.バトンを回す人7人とその人をイメージする漢字を。
おこがましいので回さず、おいて置くという事で普段お世話になっている方への印象を。

かなさん(本読みの部屋―印象別読書感想―)「温」。「穏」とも迷ったのですが、温かさを感じます。更新再開楽しみにしています!

もろりんさん(本が好き!お気軽読書日記)「開」。開き、出会っている方だなと言う印象。だからこそ感じる深みは…敬愛しています。

Westieさん(書棚と本棚)「構」。がっしりとした考え。それが持つのはそこに深み、優しさ、そして弱さという空間を持ち合わせているからではないかと思い、お付き合いさせていただいている方です。

リンクにはありませんが…読んでくれているかもしれない
kzm-11さん 「親」親しみやすさが魅力の方です。「伸」へもつながるかな?

これは一年越しで温かさをいただいた
衛咲遥さん「望」頑張ってください!応援しています。

そしてバトンをいただいた
きぬ子さん「緩」一生懸命さの中にあるゆるやかさ。それが相手にとっては救いであり、魅力である…と勝手に思っています。

と長くなりましたが以上で。
本日のお勧めリンク
http://video.google.com/videoplay?docid=6176491654107670145 (ピタゴラスイッチ 和みます)

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