「間」
自分のこだわり、という訳ではないが、やはり書き始める時はこの人のこの本から始めなければならないと思い、今日紹介するのはこの本である。「おとなの小論文教室。」シリーズの2巻にあたる一冊である。そのため前冊と同様に、
ほぼ日で連載中の「
おとなの小論文教室。」に過去掲載された作品を再構成した一冊になっている。
この本、一言で言えばコミュニケーションにおける「間」について書かれた1冊であると言えよう。コミュニケーションの中には実際相手と通じる場面の他にいくつもの場面がある。
自分の言いたいこと、思いは何なのかを考える場面。
相手のことを思う、相手の立場に立つ場面。
相手と自分以外の他の要素について考え、その視点を得る場面。そこから新たな考えを得る場面。
これらはやはり、コミュニケーションという場で考える「会話」などの合間、若しくは同時期であっても別のチャンネルであると言える。
逆を言えば、コミュニケーションを考えるとき、どうしても「会話」のテクニック、センスなどにのみに目が向き、この「間」の存在について認識することをを忘れがちになる事が多いのではと私は思う。
この本ではそういう場面を、そういう事を考えていると見ることも出来る。
いくつか本の中の節を紹介してみる。
『自分が嫌な事があったとき、それを母にあたった事から思いを馳せ、その自分に嫌な思いをさせた人もどこからか嫌な思いをさせられた、つまり「連鎖」があったのでは?という考えを述べる「連鎖」。』
『生きる実感。それは【体中が熱く、気持ちが昂揚する「喜びの一瞬」の事ではなく】【自分の無意味感から逃れつつ、空気圧にじっと耐えて、昨日と同じ今日を、また同じ凡庸な朝を生きる覚悟、それをうんざりしても、毎日を繰り返し続けていけることこそが「生きる実感」である。】という生きる実感。』
『お詫びの時、それは自虐をし、自己完結で終わらせるのではなく、利他の時間であるべきという「お詫びの時間」』
本ではここから思いは連鎖する事から愛、そして日常を生きていく中、伝わるのが難しい事でも、それがつらい中でも続けていく勇気、そのために自身で愛を様々なところ・ものから持ってきて、それをうまくまわしていき循環させていく、つまり自分で生きていく覚悟の「愛・勇気・覚悟」が必要なのではないか?という話の展開になっていく。
これはとどのつまり一つに集約していく。
「理解と言う名の愛が欲しい」からこそ、
勇気を持ち続け、伝える事をあきらめず、
愛を探し、それを伝えてまわしていく事に取り組み続ける。
そんな事をこの本では語っている。
いい意味で「コミュニケーション」の本でありながら、よく思われがちな「コミュニケーション」の本ではない、それでいてやはり「コミュニケーション」の本質を突く、いい「コミュニケーション」の本であると思います。
是非、ご一読を!