2006年7月12日(水)
no.61 56通の涙のメール iのあるメール大賞 より   

56通の涙のメール

iのあるメール大賞
より


角川書店
460円
2005年
上記画像はアマゾンへの
リンクです。

道具を「使う」こと

 久々の紹介。色々考えさせられる事のあった「iのあるメール大賞」の冊子を読み、それを紹介しようと考えたが、調べてみると書籍化もされている様子。そこで今回は、その本をトップのリンク画像に使用した。

iのあるメール大賞
「メールだから伝わる気持ちもあります。」
何気ない毎日の中で、人の心と心をやさしくつなぎあたたかい物語を紡ぎだすたくさんのメールたち。
そんな心あたたまるメールを募集してきているのがこの大賞。(ほぼ冊子文引用)

 このコンセプトを読んだ時に思ったことが今日の題である「道具を「使う」事」であった。携帯メール。今や生活に無くてはならないものになりつつある人も多いのではないだろうか?全国の携帯電話の加入台数も今や9000万台を超え、(6月末時点)数字だけを見れば一人一台の日もそう遠くは無い感じである。そして、公共空間では携帯のマナーに関する放送が流れる事がもはや当たり前になっている。また個人にしても携帯がなくては不安でしょうがなくなる、やもすれば依存症のような人もいるのではないだろうか?

 「だろうか?」いや間違いなくいる。

携帯のみではないが、私の場合はPC、携帯双方が無ければ、今や生活が成り立たない所に近づいている。他者との関係で言えばこれらで使用するメールでのコミュニケーションへの依存、これはここ数年で非常に大きなものになっている。メールの返信が無いと不安になったり、以前はメールボックスにメールが無いだけで落胆している事もあった。

そんな時に思ったのが、今日のお題である。

ひょっとして自分はPCや携帯のメールに「使われて」いないだろうか?

そう思ったのである。
それらにより自身のペースが乱されるとすれば、それは道具を使い、利便性を追求するという道具の本来の役割とは異なる。それはやはり道具に振り回されている、道具にうまいように人が「使われている」状態であるといえよう。

 新しいもの。特にそれが今までの生活スタイルを変えるものであれば、そこには自分が今まで構築してきた生活を変える事が必要となってくる。そして、それはその道具が今までの自分の何らかの役割を代わりに行う事によってもたらされる「利便性」を得る事につながる。
これはいいことなのだが、道具に代わってもらう事で、よりほかの事ができる可能性が出来る反面、今までやっていた事が出来なくなる、感覚がにぶくなる可能性もある。
更に、新しい状況は新しい問題も生じる可能性も持つ。

これは携帯の進歩にも当然当てはまる事だろう。

携帯電話代は…。
メールのコミュニケーションに関する影響は…。
携帯使用による体への影響は…

まあ、言いすぎというかもしれないが、無視も出来ないものもあるのではないだろうか?
そんなこんなで私自身は携帯、PCなどに対して使っていながらもある種、マイナスの影響が大きいと考えていた。そんな中、その考えを改めるきっかけになったのが、この大賞の一連の作品との出会いである。

確かに、ここには「メールだから」表現された、様々な思いが表れている。
そういうものは何よりも携帯(いやケータイか?)を道具として「使う」事へのヒントを何か示しているような気がしてならない。それが何か私はまだ見出せないが、何か明るい見通しを与えてくれたのは間違いない。

携帯会社の企画だから、当然、そうなるとは思うが、それにしてもここにある思い、そしてそれが生む希望とは一度、触れ合ってみてもいいのかもしれない。
是非、一読を。
今日のあれこれ
http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_07/g2006071213.html
暫らくすると見れなくなると思うので一部、引用)

松嶋初音、日テレ演出めぐりブログで猛批判
巨大壁画除幕式に爆発


 没後10年で再び脚光を浴びる芸術家、故岡本太郎さん(享年84)の巨大壁画「明日の神話」が先週末、東京・汐留の日本テレビ敷地内で初公開された。その除幕式の演出をめぐって、人気アイドルが「私の太郎さんが汚された」と自身のブログで大胆に“爆発”。勇気ある発言か、的外れなのか−ネット上で賛否両論の波紋を広げている。

http://anthem.co.jp/blog/hatsune/archives/2006/07/post_257.html(彼女のブログ)

大いに結構な事だと思います。
ただ、ただ少し思うのは彼女も発言する責任は負うべきだと思うんです。
だからといって非難しあうっていう事ではなくて。
自分の筆が相手を傷つける覚悟、責任を負うべきではないかと。

色々な意見があるのはいい事。だけどその中で少し書くときに相手に対する思いやりがあってもいいんじゃないかと思うんです。
彼女のまっすぐな気持ちは伝わってくるのですが、でも何が正しいかなんて分からないものなんじゃないの?っていう事が自分の中にあるから、もう少し落ち着いて言いたい事をいっても…と思ってしまう。

なんかその「塩梅」ってのが必要なんじゃないかな?何て思うである。その上での衝突はどんどんあっていいと思うけど。

でも、彼女の書いている記事を読んでやっぱり、すがすがしいというか、伝わってくるなあって感じる自分も確かにいますが。

何にせよ
岡本太郎氏の「ぶつかり合う事は調和になる」
何となく今の自分にしっくり来る言葉でした。

考えが深くならないなあ…
もちこして考えないとな…
本日のお勧めリンク
http://www.1101.com/taro/(ほぼ日 なんだ、これは?)
http://www.dai2ntv.jp/p/z/002z/index.html(第2日本テレビ 爆発屋 岡本太郎大博覧会)

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