2006年11月12日(日) |
今日のあれこれ |
隠れても、逃げても…
ある他大学の女性と半年ほどお付き合いをしていました。
大学外で出会い、先輩と後輩から仲が深まってのお付き合いでした。
まあ、その後すったもんだで、絶縁状態。
付き合っていた彼女と、大喧嘩して、お互いキレテ、こちらは向こうに「警察呼ぶ〜」とまで言われ、それで何か何も分からなくなって、ここで何か書くのも怖くなって、閉鎖していました。
でも、再開しようとお思いました。あちらさんと連絡がつかないので、こっちの一人よがりになりかねませんが、しょうがありません。でも、僕の中で思いが色々変わったことが事実。周りにあった事も事実。ありのままに書いてみましょう。少なくとも仲介者の主観に満ちた書き方よりはいいでしょ。
彼女との関係で大事になった時、彼女の名前は伏せて、他大学の学生という事にして、ゼミの先生にはすべてを話しました。
それは、以前、その後に親が出てきたり、ゼミに影響したりしたから。
それで、1年間どうにもならなくなったから。心配でした。本当に。ただその時、師は言ってくれました。
「それは、話さなくていい事だよ」
「それよりも調査の結果はどうだったの?」
事実を報告した時は泣いていませんでしたが、「調査は…」と言われたときは、図らずも泣いてしまいました。
何ていうのかなぁ〜
僕の主観で言えば彼女とこじれ続けた理由は何処まで言っても「先輩」「後輩」から抜け出れなかった。で、僕はスパルタだから彼女の恐怖心はどんどん大きくなって…。
彼女が嫌な時にも、教えたからこういう風には言えないんだろうけど、で彼女の友達はそれをズルイとのたまうんだろうけど、「憂さ晴らし」とか「いじめ」とか、そういう事は一切ありません。
でないと、彼女の友人、嫌いだけど助けるなんて事も出来ないし…。そこの割り切りぐらいは出来ているつもりです。
ただ、単に彼女とは世間話、たわいも無い話をしたかったなあ。ぜみのない時はうまく言ったんだと思うんだけどなあ。彼女との旅行も楽しかったし。
でも、彼女は「先輩」としか接してくれないんだよね。関係悪くなればなるほど。で、拗れる。
一友人でいいのにと思った。
まま、この辺は、もう僕のメディア力では届かない事。
で、なんと言うか。
彼女はパートナーだと思っていた。
それはゼミのというより、もっと大きい、「楽しく学んで」「生きていく」。ゼミの学びっていうのはうちの場合、「お仕事」って感じで。それとは別に彼女とは本当の「生きていく学びを、一緒に苦しんだり、笑ったりして」やっていこうとしていたし、出来るだけ、ゼミを少なくして、彼女個人と学んできたつもりだった。
ただ、それがお互いに不幸で、ケンカして、僕は彼女に手を上げた事もあった。
…結局最期まで、お互い言いたい事は言えず、絶縁。
で、先生と話したとき、それでも「学べる」という事が分かって、それが嬉しかった。
勿論、最高のパートナーは失った。
それでも、自分の学びを、学びの姿勢を応援してくれる人がいる。
それが嬉しかった。
うちの学科は二つの学びの流れがある。
うちの師匠を中心とする「モノを通した学び」
その外お二方の先生を中心とする「人を中心とした学び」
「モノを中心にした学び」
これは殆ど携わる人がいなくて、結果今、私一人。ようやく学外にして見つけたパートナーは…。
私が見る限り「人…」のほうにシフトしている気がする。
だから、ここは伝えたいと思って、出さないメールを出している(←馬鹿です、私)
まあ、何にせよ、そういう学びのスタンスが少数派な訳です。
で、余計不安になっていくわけですわ。
こういうスタンスでの学びでいいのか?
それこそ、教育基本法改正、騒いだほうがいいとちゃうか?(⇔いやその前にやるべき事がある)
また、これは自己責任だけど、これまで厳しかった分、更には研究手法が少数派の分話せる人はいない。
これでついつい彼女に話して…(彼女も研究の話なんか聞きたくなかっただろうね、ごめん)
ここ数日、研究について、同級生とも話しました、先輩とも話しました。
で思った事、至ったことは…。
研究者も職人である
って事でした。
(1)例えば自身の研究を進めていく中で「学派」の話が出てきます。この論文はこっちの学派で、こっち系の政党色が強くて…。
こういう話は、それこそ、論文を読みまくって、学会の動向、研究者の出身まで把握しないと分かりません。(慣れてくると、書きっぷり、資料でも分かるんじゃないかと思いますが)
(2)資料の集め方があります。卒論だとよく言われるのが「資料がない」「とって見たけど使えなかった」…etc。当たり前だと思います。自身の言及したい事の資料、これなんぞホント、100当たって1あるかないかって所でしょう。(私の場合、駆け出しでもっと率は低いですが)師匠にしても一つの資料に出会うのの3,4年かかる事があったって言っているんです。
だから、無いからって、落ち込むのがそもそも、不遜な行為。後は結果が出ないからって落ち込むのがおかしい。
これも直感ですが、資料は死ぬ気でやれば出てきます。そうすると、今まで輝いてこなかった資料も新たな輝きを持ってきます。そこまでやらないと…、資料がないなんていっちゃダメですよ。多分。
例えば、こういう事がありました。
「ペット」について卒論を書く。
で、先行研究なかったらしいです。
でも私がその人と一緒に「愛玩動物」とひくと、10件以上ヒットした。
そういう話です。
…上から敢えて彼女に接した理由。
これは僕が餓鬼なんだからなんだけど、同じ土俵で語るんだよね。その「分かったつもり」は結構キツカッタ。素直に聞けばいいのに。後は、プライベートで世間話なら、そこまで厳しくしないのに、ライバル視してかかってくるんだもの。何で、同志として話せなかったのかな?
私も論文で、年上の人に接する場合、その人の苦労が分かるから、重んじるものがある。
君はこちらの話の苦労を重んじてはくれなかったよ。
それならそれで、ライバル視しなくていいのに。
なんと言うか、スゴイあたり方がキツカッタ。
もっと仲良くやっても良かったんじゃないかなって思ったよ。
ライバル、つまり一人の職人として接するなら、それはやはり、一人の職人として接しますよ。
それが礼儀でしょ。(学科じゃもう、職人気質は先生と私しか今は無いみたいだけど。他校はどうなのかなあ(他の二人の先生除いて))
褒められて育つ、職人はいないよ。
学びについては、もう一人で「モノを通した学び」を進める覚悟はしました。
師と進めていくつもりです。
彼女との関係は、ライバルならライバルでとことん。そうでない友人なら友人で。
ライバルならどこまでいっても、「職人の世界」。怖い接し方をするだろうし、友人なら友人、楽しく付き合えるだろうし…。
ただ、周囲のお師匠さんや、先輩、他校の同僚に言われたけど…。
本当にライバルやって、好かれる事は厳しい。
でも、よくそこまで思い込めるね。ってさ。
後は、彼女に対しての先日一緒に(彼女含めて)飲み食いした時に貰ったコメント。
「確かにちょっと、危ないね。人の話を聞いてそうで、大事にしていない。確かにモノに向くようにじっくり対する事が出来ればもっと凄くなるかもね」
何にせよ、応援しています。
どういう形になるか(多分、接点を持たない形になるんだろうけど)分からないけど。
君らしく頑張れ!
私も誰か人を傷つけるかもと思うと、怖い。こうやって書いて、また君にキラレレルかも、と言う怖さもある。自分がおかしくなるんじゃないかという恐怖もある。
でも、ここから始めないと、はじまらない。
そう思って再開しました。
今後とも皆様、宜しくお願いいたします。
いもはた |
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