温泉を愛づる
先に紹介した、松田忠徳氏の「温泉教授の温泉ゼミナール」。この本は温泉を愛する視点で書かれた一冊である。そして、この本は温泉を愛づる本である。
共に「愛」という語が入る「愛する」と「愛づる」。この違いは何であろうか?「ゲノムが語る生命ー新しい知の創出」で中村桂子は愛を次の3つに分けている。
Love;エロス的で性愛的なものを含む、美しい(と思う)もの、可愛い(と思う)ものなどへの愛
Agape;無償の愛
Philia;愛智。時間をかけ見つめる愛
Loveの場合は、熱情的な、情緒的なものである。それに対し、Philiaは認め、愛する事である。そのためには長い時間をかけて見つめ、そして知り、その上で愛し続ける。そんな愛であるといえる。
恋人と、自分。そこで愛を語る、育む場合、Loveでも成立し得る。しかしその愛を多くの人に伝える時、そこにはPhiliaが必要になってくる。
相手の対象をまずは無条件に認め、その上で愛する。その際にはまず「相手を理解する事」が必要になってくる。
本書は主張の面では松田氏のものに近いものがある。
しかし、それは人それぞれの「良い温泉」を認めた上で、客観的な基準として「源泉」に着目し、その上でのものである。両者ともに「ホンモノの温泉」の議論を展開しているが、「ホンモノの温泉」を最初から、源泉かけ流しであるとする松田氏の著作とはそこに決定的な差がある。
またそのため、今日の温泉に関わる問題のキーワードに関しても、松田氏よりもより詳細に述べている。例えば、循環式浴槽ににしても、それを必ずしも否定するのではない。いくつかある方式のそれぞれの特徴を述べた上で、論を進めていくのである。そこには「必要な循環式浴槽」も存在するのである。これもまた、循環式浴槽をすべて、「源泉かけ流し」と異なるという一点で否定的に捉える松田氏の著作とは対照的である。
更に言えば、「注」の存在がある。主張に対し、飛躍があると思われる可能性がある箇所には、その出典、根拠を明示してあるのである。この時点で、少なくとも、その資料を見た上で、議論をする事が可能である。このような点も、根拠の無いまま、「温泉は日本人のDNAに刷り込まれている」という松田氏の著作とは対照的である。
勿論、どちらの視点で見ることも必要である。実際、松田氏の著作、主張は大きな賛同も得ている。ただ、温泉への愛の一つの形として、この本も、松田氏の著作も読んでおいて損はないのではないだろうか?
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