二つの川
部落差別。最近では「エセ同和」の問題なども騒がれているが、わが国に存在している、れっきとした差別問題の一つである。私は埼玉県の西部のある都市に住んでいる。ここではかつて、部落差別が大きな問題になった場所である。そして私自身も、かつて偶然ではあるが、その当事者の方と関わりを持ったことがある。
この住井さんの本は部落差別を取り上げた本の中では最も有名なものの一つであるといえよう。彼女はこの本をライフワークにしながら、絵本やエッセー、様々な作品を残しつつ、90歳を過ぎなお執筆活動を続けていた方である。
私自身も実は、初めて読んだ長編がこの橋のない川であったりする。
となると、やはり紹介するのは非常に難しい。というのも、彼女の著作はその殆んどを読んでいる。彼女の娘である増田さんの著書も、永六輔さんとの共著も…。
それだけに、この本の紹介をする時は、きちんと整理をして…と考えていた。
それを今日、紹介してみることにした。何故か?それはある事を考えている際に、この本の最初の一節をふと思い出したからである。…と前置きは長くなってしまったが、つまり、その今回は「橋のない川」、そして部落問題の事についてこのサイトで書いていく、初めの一歩である。
思い出した一節は以下のものである。
ホーイ ホーイ ……
”あ、誰やら呼んだはる。あれは私(わい)を呼んだはるネ。”
少女は走った。追風が彼女を助けた。
ホーイ ホーイ ……
”あ、誰やら呼んどる。たしかに、あれは俺(わし)を呼んでるんや。”
ヤッ ホーイ ……
少女は走りながらこたえた。
少年も走りながらこたえた。
ヤッ ホーイ ……
やがて少女は少年をみつけた。
少年も少女をみつけた。
少女と少年の間には、黄金色に熟した稲田の落水が、ちろちろ小溝をなして流れている。
「おふで。」
少年によばれて、少女ははっと気がついた。
ふではもう少女ではなかった。呼んだ少年は夫の進吉だった。
しばらく、いや、もう何年ごし遭わずにしまった夫の進吉。その進吉が、今、小溝の向う側にたっている……。ふでは小溝をとびこえるべく身構えた。とたんに、小溝は滔々たる大河となって彼女をさえぎった。
進吉は対岸を上流に向いて駆け出す。
ふでも上流に向いて走り続ける。
「ああどこかに橋があるはずや。」
「あ、橋が……。」
ふでは叫んだ。彼女は橋をめがけていきせき切った。だが、それは半円の虹だった。虹はものすごく幅をひろげながら、ずんずん天空へ昇って行く……。
そんならもっと上流へ―。ふでは走った。進吉も走る。けれども、上流はきり立った大氷山でかぎられていた。ふでと進吉は身をひるがえし、再び下流に向いて走りつづけた……。「どこかに橋があるはずや……。」
しかし川幅はいよいよ広く、水流は勢いを増していくばかり。しかもふでには、進吉の呼吸までが耳にひびく。進吉は喘いでいる……。苦しそうに喘いでいる……。なぜそんなに苦しいのだろうか?
あ、雪だ。雪のせいだ。対岸はいつの間にか丈余の積雪。進吉は、その雪深く埋もれ去ろうとしているのだ。
わーっ……。
手放しでふでは泣いた。ふでは恋しかった。ただただ進吉が恋しかった。
(橋のない川第一部 星霜より)
ここで出でくる進吉は日露戦争で戦死をしている。そしてふではその妻である。その妻であるふでが見た夢の描写、ここから全7部という大長編の橋のない川がはじまる。
橋のない川。
ここに筆者はいくつかの意味を込めていると私は思う。一つは、誤りを恐れずに言えば「此岸」「彼岸」を分けるもの。つまり生の世界と、死の世界を分けるもの。
これは時間の絶対性で橋のかけることの出来ない川である。
そしてもう一つは人により人為的に作られた橋のない川。これは差別ともいえよう。実際、著者は「橋のない川に橋をかける」という著作を表してもいる。
この最初の描写の川にはそんな、二つの川が描き出されているのだと思うである。
(※更に言えば、戦争というものが無理矢理分けた、理不尽さも書かれているともいえるが)
著者は「時間の絶対性」を平等の根拠としてあげた。人間の卑賤に関係なく、時間は平等に流れる。天皇が飯を食っても、私が飯を食っても、時間が立てば、それは米が異なり、糞として体の外に出される。そこには時間の絶対性があり、それ故、人は平等であると。
その信念のもと、部落解放運動の歴史が書かれたのが本書である。
しかしである。
時に、この時間の流れは過酷である。
予期せぬ別れ、或いは自身の終焉。
様々な結末が用意される。
それを救うというか、それさえも受け入れてしまうのが、時の流れなのではあるが。
その厳しさ、そして、大きさ。
そんな事をふと感じた。
だからこそ、活きたい、活きて欲しいと強く思う。
皆、共に。
そんな事をふと思ったとき、思い出したのが上のこの本の書き出しだった。
テーマは重いが、著者は絵本も書いているので、読んでいて風景の浮かぶ、書きっぷりの本である。それだけに、どんどん物語りに引き込まれていく。
是非、何かの機会に。
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