2005年6月21日(火) |
【栗無存さんの紹介no2】 変身 フランツ・カフカ 著 |
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変身
フランツ・カフカ
新潮社
340円
1952年発行
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どうも、二度目の栗無存です。
本日紹介するのは、フランツ・カフカ氏の「変身」です。これは、主人公のグレゴール・ザムザがある日突然虫になってしまうという物語です。ある日突然虫になってしまった、ザムザ、冷静な彼は虫になった以後も今までどおり振舞おうと努力します。しかし、周りの人はそうは行きません。表面的には、やさしく振舞うものもいましたが結局みんなザムザを厄介者扱いします。そうして、毎日今までとはまったく違う扱いを受けるうちにザムザは…
この本から受けた問いは前回と少し近いかもしれません。ずばり、「私」とは、いったいなんなのだろう?やはり、体って重要なんだろうか?という、ちょっぴり哲学的な問いです。
どこかの、えらい学者さんはこの「変身」に対して、コギトエルゴスムを否定した作品だといっていました。それを聞いて、確かにそうだなって思いました。私たちは、確かに思考ができれば自分が存在すると思う。でも、どこか他者に依存しているはずです。果たして、今の自分は自分ひとりの力で成り立っているか?私は、今の自分は今まで出会ってきた人、出来事にかなり影響を受けているなとやっと実感できるようになりました
大学生になっていろいろ経験して(まあ、前回お話したことが大きいでしょうか)今までと180度違う人間になりました。というより、自分で過去の自分を捨てたいと欲していたのかもしれません。まあ、そんなこんなで変わっていき、ある日私は、これで二度死んだことになりますかねえ、とふと憧れの先生に漏らしたら、それは違うよといわれました。「人間は、決してゼロにはならない。ゼロになったと思ってもそれは、それでいろんなものが重なった変化なんだ。しかし、ゼロになったと思うことはいい。今までと違うことができるから。ただ、今まで出会ってきたことや人への感謝を忘れずに。」んー、ちょっと強引でしたが恩師の言葉を載せてみました。まあ、私栗無存はちょっぴり精神が分裂気味なんで許してください。
まあ、何がいいたいかと言うと、私はさびしがり屋であるということと、周りの人が自分に与えてくれた影響をしみじみ思い出してみてほしいなということですかねえ。自分とは、何か?そう考えると難しくなるけど、周りの人が自分にどのように影響しているか?自分をどのように形成してきているか?を考えるのはなかなか、面白いものだと思います。なんで、お暇な方、ちょっとやってみて下さいな。
そういえば、恩師は、こんなことも言っていましてね。「だから、ゼロになったと思う必要は無い。新しいこと始めて、失敗したとしても、それがいい方向に行くこともあるんだから。そう考えるとゼロになると考えるより楽になるはず。何度でも、やり直せばいいし、いろいろ積み重ねればいい。」んー、うまく伝え切れません。ごめんなさい。とにかく皆さん、ぼんやり散歩でもしてください。
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コメント |
コギト エル ゴスム=我思う、故に我あり。
ですね。
確かに周りの影響をうけて人は存在する、だから「人間(じんかん)」というでしょうね。私もそう思います。
ただ、周囲と自身の関係は相互関係がある、と言うの又事実。
そう考えるとコギド…も全面的に否定されるものではないのでは?と浅〜〜〜〜くしかよめない芋畠は感じるのですが、どうでしょうか、栗無存さん?
また是非投稿してこのコーナーを引っ張ってくれると嬉しいです。
栗無存さん、ありがとうございました。
いもはた |