2005年5月12日(木) |
no.20 在宅で死ぬという事 押川 真喜子 著 |
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在宅で死ぬという事
押川真喜子著
文藝春秋
1238円+税
2003年発行
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付箋を貼れない本
ここに文を書く時は日中1回目通して読み、その後、2度目に印象に残った所、ここ!と思った所に付箋を貼り、そしてそれを整理して書くと言う形をとっている。しかし今日読んだ本にはまだ付箋を貼ることが出来ない。すべてのページが重いのである。その何処かに付箋を貼るという事、それだけこの本から距離を置くという事がまだ出来ていない。
今年に入り、同じ年の友人を亡くした。彼は一人で突然の死を迎えた。それ以来、今、如何に生きるか、そして自分の最期について考える事が多くなった。今までの本の紹介では生きるほうの本を紹介してきた。そして今回は最期、死についての本である。
訪問看護、この言葉を初めて知ったのは、永六輔さんの「妻の大往生」を読んでからだ。ターミナルケア(終末医療)の一つ。在宅ホスピスとも言う事が出来る。この本はその訪問看護に関わってきた方が、そのケースを綴ったものである。彼女が患者さんに会うとき、それは別れの始まりである。そしてより良い別れへ最善を尽くしていくのである。
患者さんは死を受け入れる事を迫られる。そして家族もまた然り。その中で自分たちのより良い別れを探していくのである。正解のない答えである。自分たちで手探りで、別れの方法を模索していくのである。そこは奇麗事だけではない。それまでうまく行って来た絆が壊れる事もある。それでもより良い生き方(QOL)を目指し、生きていくのである。現にこの本の最後は著者自身のエピソードであるが、そこでは在宅の限界?も垣間見る事になる。
この本を読んで、感じたのは在宅、家の事である。多くの人が家で最期を迎えられる事を前向きに捉え、また家に帰ることで生活に張りがでるのである。その家の持つ力。そのすごさについて考えさせられた。それは勿論、友人の逝き方があったからでもある。彼の死に際する思い。それを想うからである。
この本を読み、家について想い、ある本を思い出した。それは「ホームレスさんこんにちは」という本である。ここでホームレスの方はこう言う。
「私は単にアパートメントレス(宿無し)であってホームレスじゃない。ホームは心の中にちゃんとあるから」
この言葉を読んだ時も思った事だが、ホーム、家には形を超えた「ホーム」もあるんのではないんだろうか?その力が、在宅で死を迎える人に多くの力を与えたのではないだろうか?という事だった。
じゃあ、それは何か?家族、思い出、匂い、記憶…さまざまなものが考えられる。はっきりは分からない。でもやっぱりある。どうすれば出来るのか?分からない。でもやっぱりある。そしてそれは死別という場面でも皆に大きな力を与える。
「あなたにとってのホームは?」
付箋を貼るのも辛い一冊である。最初は涙が止まらず、先に読み進めることもままならなかった。しかし、これは紛れもなく私たちにもいつかは訪れる死の一つの、そしてある意味で幸福な形である。重い。しかし対峙していかなければならない課題。そう感じた。
追記2008/12/14
3年前の拙稿。今年私は、介護に関わりました。祖父を見送りました。
介護、その中での経験は初めてです。日に日に痩せおとっていく祖父。
最後は、2ヶ月食べ物を食べることが出来ませんでした。
リハビリをという中、病院との意思疎通などにも問題があり、間に合いませんでした。
まさしく病室で処置をし、それに堪えられず逝く祖父を目のあたりにしました。
居て当たり前だった、祖父はもういません。
今考えると、この本の重みがまた変わってきます。
「明日咲くつぼみよ、今日散る花びらよ」
「いつか、別れの言葉 さようなら」
明日咲くつぼみという曲の一節です。
ここの整理もその一つ。私は受け継いで生きていかないと。
そう思い、今、色々ひとつずつ、形にしているところです。
そして、そこから又新たに進み出すところです。
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今日のあれこれ |
今日の書評はいつもと違う。それはいつもに比べ、実際の内容を殆ど紹介できなかった、という点である。いくつもの別れがこの本にはある。それを箇条で紹介する事、どうしても今は出来なかった。いつか出来るようになるかもしれない。その時はこの紹介も書き直したい。ただ読んで欲しい一冊である。もし興味をもたれたら実際に手にとって、そして読んで欲しい。そして感じて欲しい。
本を紹介する事の辛さを感じた一冊であった。まだまだ精進である。
自分は…少し落ち着いたかな?やもすれば何処までも自分を傷つけそうで、やもすれば自分を守り、相手を貶めそうな毎日。そのバランスをとり、それでも生を受ける事に感謝する今日である。
結論を見つけること。それは必要なのかもしれないが、今例え自分を傷つけたとしても、それは結局そういう形での自己解決にもなりかねないと思う。あやふや、キツイコトではあるが、その状態を受け止めること。これも精進。
逃げ、中途半端、非難は幾らでも聞こえてくる。だからこそ逃げずにこの混沌を背負っていかないと、そう思う次第である。
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本日のお勧めリンク |
http://www.hospice.jp/ (日本ホスピス・在宅ケア研究会) |