大和。読まれている人にはヤマトのほうがしっくりくるかもしれない。私もその口。沖田艦長の最期に涙した人間である。しかし今日はそちらのヤマトではなく大和のほうである。
この2枚の写真。これらは鹿児島の知覧で撮った写真である。知覧。ご存知だろうか?特攻隊の出撃した場所。それが知覧である。そこで撮った2枚の写真。(2枚目は特攻する兵士が寝起きしていた部屋の復元。)ここには数多くの特攻により散っていった方の遺書が展示されている。長野の無言館も最近有名だが、ここにも重い過去がある。私はメールを有人に出す際、返信を求める癖がある。それを押さえる為によく「返信無用」という言葉を使う。何気なしに使っていたが、知覧で見た遺書にこの言葉を見たとき、その重さに涙し、立ち尽くした。どういう想いで「返信無用」これを記したか。思うに耐えなかった。
宮部みゆきの作品で「蒲生邸事件」がある。主人公が2.26事件の頃にタイムトラベラーと共にタイムスリップをしてしまう。時代の流れは戦争へと向かう。それを知る主人公。しかしその流れにあがなう事はかなわない。タイムトラベラーも最期はこの時代で生を全うする。そんな話だったと思う。
さて、今日の本である。
戦艦大和の最期はこの知覧から出撃し散っていった若者と同様、特攻であった。沖縄で敵を食い止めるための作戦で敵の囮になる。それが大和に与えられた命であった。
その船の中では色々な出来事、議論、感傷が渦巻く。しかし、結末は決められている。玉砕。
そんな中、彼らは何の為に死ぬのだろうか?国のため?家族の為?靖国に帰るため?
こんなやりとりが記されている。
「国のため、君のために死ぬ それでいいじゃないか それ以上に何が必要なのだ もって瞑すべきじゃないか」
「君国のために散る それは分る だが一体それは、どういうこととつながっているのだ 俺の死 俺の生命 また日本全体の敗北 それを更に一般的な、普遍的な何か価値というようなものに結び附けたいのだ これら一切のことは 一体なんのためにあるのだ」
「それは理屈だ 無用な、寧ろ有害な屁理屈だ 貴様は特攻隊の菊水の「マーク」を胸に附けて、天皇陛下万歳と死ねて、それで嬉しくはないのか」
「それだけじゃ嫌だ もっと、何かが必要なのだ」
例えば貴方ならその場で、こういう風に言う彼らと何を語るか?
「蒲生邸事件」読んだ時に感じた。時に対する限界。これをこの本を読んでいるときも感じたのである。
時の流れにあがなう事は可能なのか?そこに限界はあるのではないか?「やれば出来る」これはあまりにも無責任な、そして安易な答えだと思う。今日、当時の戦争の批判は容易に可能である。なぜならば時空をはさみ我々は傍観者であるから。しかし自分がその場にいたらどうなるか?それを考える事も必要な事なのではないだろうか?
そしてそこから、では今何が出来るか?を考える。過去との連続性の切れた今は存在しないし、未来との連続性の切れた今もまた存在しないはずなのだから。
ヤマトは創作。終わりはある。割り切れている。しかし大和の最期は事実。事実故に人の想像、思いを超え、割り切れぬ部分がある。この割り切れぬことの一つが時の流れに対する限界であると思うのである。それに直面するからこそ、その中で人は煩悶すると思うのである。そしてそれには正解は無い…。
この本を読んでいて在宅ホスピスの話が浮かんだ。(
参照)それに関する著者のスタンス、大和での死との直面について、次のような記述があった。最後に引用したい。
ワガ数日ノ体験ヲ、特攻出撃ト呼ブヤ コノ乏シキ感懐ヲ、死線ヲ越エタル収穫トイイ得ルヤ
然ラズ ワレ万ニ一ニ生ヲモ期セズ
ミズカラ死ヲ選ビタルニ非ズシテ、死、ワレヲ捉エタルナリ カクモ安易ナル死ナシ
精神ノ死ニ非ズシテ肉体ノ死ナリ 人間ノ死非ズシテ動物ノ死ナリ
ムシロ死ニ非ズシテ死ノ小実験ナリ
ワレ一瞬トテ死ニ直面シタルカ
出港以来、生死ノ関頭ニフサワシク、ミズカラヲ凝視セシコトアリヤ
最後ノ刻々ニ、些カノ生甲斐ヲモ感ジタルヤ
ワレハ死ヲ知ラズ 死ニ触レズ
死トノ対決ヨリ我ヲ救イシモノ、戦闘ノ異常感ナリ マタ去リ行ク者ノ非懐、明ラカナル祖国ノ悲運ナリ
翻ッテ、銃後ノ死、無数ノ戦災ノ死ヲ想ウベシ
ワレモシ艦橋ニテ、彼ラノ如ク、周囲ニ父母アラバ如何 兄弟アリトセバ如何
ワレニ脱出ノ機、選択ノ余地、自主ト責任アリトセバ如何
悲惨ナル生活ノ只中ニアラバ如何 タダ値イナキ犠牲ニ過ギズトスレバ如何
特攻ノ死コソ 遥カニ容易ナリ
ワガ位置ニ立チテ ワレノ如ク振舞ワザル者ナシ 老幼子女ト雖モ、モトヨリ然ラン
必死ノ道ハ坦々タリ 死自体ハ平凡ニシテ必然ナリ
死ノ事実ノ尊キハ、、タダソノ自然ニナルニヨルベシ カノ天地自然ノ尊バルル如クニ
サレバ我ラガ体験ヲ、必死ノ故ヲモッテ問ウコトナカレ
タダ問イ給エ―我ラガ如何ニ職務ヲ完遂セルカ 如何ニ的確ニ行動セルカヲ…(以下略)
筆者の煩悶、そしてそれに対する
「自分なりの考え」である。
先に書いたとおり、これが正解とはいえない。しかしこれは一つの捉え方であり、我々がいなかった時代にこう考えた人がいた事、それは事実である。
この本で書かれている事を如何に捉えるかは自由であろう。ただ事実を捉える責任はそれを肯定的に捉えるにせよ否定的に捉えるにせよ、存在するのではないだろうか?そしてその責任を果たし、考える事、すなわち向き合う事。それが時の流れに対する態度の一つと言えるのかもしれない。