現代小説? 時代小説? その共通項は?
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本が好き!お気軽読書日記の管理人さんもろりんさんが見事に喝破なさっている通り非小説の本を中心に紹介を続けている。読んではいるのだが、紹介となると…というのがその原因。その中で小説といえば紹介するのは何故か「宮部みゆき」である。
前回は「誰か」を紹介した。(
5月14日参照)これは現代小説。今回紹介するのは時代小説である。彼女の作品は時代小説の中でも傑作が多い。それは今後また、小説を紹介する時に(笑)紹介していきたいと思っている。彼女の時代小説を自分が好意的に受け止めるのは何故かな?そんな事を今回改めてこの作品を読みながら考えた。
それが今日の題に通じる。私が最初に読んだ宮部作品は「蒲生邸事件」だった。これを読んだ時もすんなり入っていけた。この時代も昭和初期という少々自分にとっては苦手な時代でもあるのにである。それもやはり今日の題に通じると思うのである。
それは何か。宮部作品はどれも(現代小説であれ、時代小説であれ)人の持つ、誰もが常に持っていながら、目に入れない思い・感情を見事に描き出しているからではないかと思うのである。
これが池波作品であれば、酸いも甘いも噛み分けた人が語ってサマになるとても深い人間像が語られるのである。どちらもそれぞれ珠玉の作品である。一言で言えば宮部作品は『身近な人間像の再発見』とでもいえようか。
私は地域に関する事を学ぶ事を志している。それを進めれば、進めるほど、自身が知らないでいた事に気付き、驚く。「自分のうちのある場所、100年前は何があったか?」「なぜ自分の住んでいる場所に集落が出来たか?」など等。そして、それを学ぶとその自分の地域、地元を見る目が必ずといっていいほど変ってくるのである。愛着、こだわり…様々な感情が自分の底よりふつふつと湧き上がってくるのである。
もうお分かりであろう。宮部作品もまた、『身近な人間像の再発見』が出来、そこから人間に対し、様々な感情を新たに抱く事が出来るようになると私は思うのである。しかもそれはいつの時代も通じるものである。例えば、貞操感。時代小説を読んでいくと、今じゃありえないだろ!なんて思う話もある。それに対し宮部作品で取り上げるテーマは時代を問わずに考えられる(と思える)テーマなのである。その共通性こそ、彼女の作品、時代小説の特徴であると私は思うのである。
この本は時代小説の短篇集である。
中でも私の印象に残ったのは表題作の「堪忍箱」。これを読んだ時、触れられない過去、人の深さ、そして「結界」という言葉を思い出した。誰もが持っている筈である。自分でも触れられない過去、触れたくない過去。そういうものがある、という事を一つの物語をそこに出てくる一つの箱を通し、描かれていく技に一人感動した。
ふと気付くと、自分もそんな過去あるのである。その事がふと見えなくなる事もある。そんな時に後味よく気付かせてくれる作品だと感じた。
あなたも見落としている自分、人の性(さが)をこの本を手がかりに見つけてみてはいかがだろうか?