今日は雑感のみ。今最後の追い込みで結構てんてこ舞いですいません。
さて未だ、小林よしのり「沖縄論」と取っ組み合っている今日この頃ですが、今日は面白い記事を見つけたので紹介。それが上の記事。
この記事にある内容もそうだけど最近思うのが「悟ったふりするなよ!」という事。
自分が何者か、なにをすればいいのか、分からなくなった挙句、それが自分なんだ、と動かない事を肯定する。正に「悟ったふり」。
勿論、動かない事を否定はしない。
しかし、そこには葛藤があるわけでしょう。それがないのはタダの思考停止だと思う。
小林よしのりの本の一貫した流れ、それは「悟ったふり」がない事。常に考え、動き続ける事。ある所で止まる時、それはそこを深めている時。その一時の位置を見て、やれ右だ、やれ左だ…。これがもう延々と続いている。アホらしいとしか思えない。
しかもその右、左も結局は何処かに依存する甘えが根本にあるものだったりする。
小林氏は戦争論2か3の中で言ったが「自分の頭で考えなさい」正にこれを言わなければならない現状なんじゃないか、と思ってしまう。
…とそんな事が「沖縄論」の中では展開されているという途中のプチ書評。
追伸1
最新刊のSAPIOでの新ゴーマニズム宣言で小林よしのり氏はこの間の青学の入試問題の件を取り上げていた。スタンスが非常に近いのでビックリ。そういう点でも彼とは論が合うのか、と一人納得した今日。(参考1
私の記述6月15日)(参考2
SAPIO7月27日号 第216章 ひめゆり語り部に関する試験問題)
私事…。周囲を見る限り、動き無いかなあ(泣)
所詮、ここや別の場所で挙げている行動は届かないのかもしれない。
無力、失望を感じる今日この頃。
気力が続く限りは今いる集団の事を諦めないし、友を信じている。
後は祈りあるのみ。
何回も言うけど、こちら動けたくても動けない状況なんです。
動きたいけど、経過からあちらを待つしかない、ここには本当に本当にもどかしさがある事、それは分かってほしい。そして何人かの友にはそこを本当に申し訳なく思っていることも。
こっちから動ける状況ならもうとっくに動いてカタつけてますよ。
今期中の動きを切望しつつ。
追伸2
ズーニーさんの連載、私の事情、悩み知っているの?と言うくらい波長が合っている。今日のコラムもそう。(
参考)私は今問題の集団のすぐそばである試みをしている。それは勿論今の集団にある問題への自分なりの一つの答えを提示すると言う意味でもやっている。あとは私が外から見れば何もやっていないようにしか見えないその集団へのいろいろな感情を表していたりもする。
そこで読んだのが今日の記事。
「ゴールから架かる橋」自分としてはこれを信じてやっていた。正直動きが何も無く不安になっていた。しかしこのエッセーを読んで再びほんの少しやる気を取り戻した今日。
後輩のAよ。
君は今の状況じゃ勝ち目は無いと言った。そんな事は分かっている。でもね諦めたら、そこで試合はおしまいだよ。
諦めて動かないで死を待つのと、死まで活きるのと君はどちらを選ぶ。