2005年7月24日(日) |
no.43-(2) 沖縄論 小林よしのり 著 |
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沖縄論
小林よしのり 著
幻冬舎
1600円+税
2005年
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上記画像は
アマゾンへのリンクです。
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沖縄からの始めの一歩
さて沖縄論2日目である。(1日目はこちら)1日目は主に私が何故彼を支持するか、という事を書き、その中でこの一連の作品の特徴を紹介してきた。2日目である今日はこの本の具体的内容について紹介していきたいと思う。
この本は沖縄の歴史を紐解いていくのだが、その中でキーとなるのは次の点であろう。まず第一に著者は沖縄と本州は歴史的に同一の流れをくむ、日本の一部であるとする。それだけでなく寧ろ沖縄にこそ古の大和が残っているという結論を導き出すのである。そこから沖縄は辺境ではなく日本の文明の固有性の核を持つ地であるという考えを更に導き出す。更に沖縄はそういう面で本州に同化してはならない。その独自性を活かしていくべきだという立場をとるのである。
(ここなど方言の考察もあり、ここに方言周圏論を取り上げても私は面白いと思った)
そしてその認識の下、沖縄に焦点を当てる事で著者は今日の日本の問題点を描き出そうとしていく。その問題点、それは簡単に言えば日本は如何なる国であるか?日本人は如何にあるべきか?という事である。
著者のスタンス(このスタンスは私も近いものがあるのだが)はズバリ「自分の頭で考えろ」という事である。今はそれが出来なくなりつつあるとするのである。そこで過去の日本はどうだったか?日本人はどうだったか?を見てそこに過去そうではなかった人、国の時があった事を見出し、その先例に学ぶべし、というのである。その実例として今回は瀬長亀次郎を取り上げるのである。
ちなみにこの自分の頭で考える、という事、これは昨日説明した「ゴーマニズム」そして資料の重視につながり、そしてそれが今回にも見られる、右でもなく左でもない作品の登場になると私は思うのである。
つまり著者の現状認識は日本、そして日本人は「自分の頭で考える事」が出来ていないというものである。そして、それが今日の社会の行き詰まりの原因であり、その最たる例が【政治、国防のアメリカ依存体制】であるとするのである。
(著者はその為、防衛面でも自主自立を謳うが本作ではそれは前面にはでてはいない。あくまでも基本は沖縄から日本を考えるという構成になっている。)
その問題を取り扱う上で本書の特徴と言える点は次の二つの言葉を取り上げることである。
「命どぅ宝」(ヌチドゥタカラ)
「いのちこそ宝」
「物呉ゆしどぅ我御主」(ムヌクユシドゥワアウシュウ)
「住民の生活を安定させるものこそ君主としてふさわしい」
この思想を考えていく事、これが本書のテーマの一つにもなっているのである。
後は筆者に私が多いに賛同できる点として国柄・愛国心の考え方があった。
筆者は歴史こそ不文のルールをもち、それこそ独特の「国柄」を醸し出す用件である、とする。
更に愛国心は愛郷心、郷土(パトリ)があってこそ愛国心が成立する、とするのである。
私は郷土史を専門にしているが、これは連続性の再生であると思っている。自分の土地の事を知らない、そして愛さない。これは不自然な気がしてならないのである。そして知る事によって愛、つまり愛知が生まれるのでは、愛づる事が可能になるのでは、と思うのである。そしてそれこそが国歌、国旗等シンボルに拠らぬ確固たる愛国心につながると私は考えている。
これは著者とは異なる意見であるが、少なくとも愛郷心の重視この面で大きな共感を覚えた。
リンク先のアマゾンのレビューを見ても分かるとおり、賛否両論の分かれる作品である。
(ただ批判はいつも著者の本になされる批判と同様、感情論、後は読解力の足りない批判(そう書いていないと明確にページ数をだして批判できる程度のもの)がちらほら見えるのも気になるが。更に言えば批判する場合は明確な資料提示の上の批判が著者に対する礼儀だと私は思うのだが)
いずれにせよ、これまでの作品同様、議論の契機になる作品には間違いない。
この夏に是非ご一読を勧める一冊である。 |
今日のあれこれ |
昨日の地震にビックリしつつも家にいたので本を読み続けていた太平楽ないもはたです。
でも正直、本と資料があるじである私よりも占有率の高い私の部屋。もうちょいでかい地震なら本と資料に間違いなく潰されます(怖)。
最近気付いた事。雑感がきわどくなるのはひょっとして更新震度が落ちると一度にに…から?という事。
ただ、正直、ここ3,4日は勝負かけています。
自分も少なからず動きつつ。
友には本当に迷惑をかけています。
後期には何としても通常営業始めたいですね。
戻り次第、借りは返しますから。
今度ゆっくり酒でも飲みましょう。
メールでだせって?
メール出すと返信が無いと不安定になるんで御勘弁を。
その不安定で又周囲に迷惑をかける。
今はそれを避けたいんです。
さて今日紹介した、沖縄論。
その中で欄外に次の一説があった。
元旦の「朝から生テレビ」でわしが田原、姜らに、「論理のベースには感情がある。前提となる感情がわしとは違う。」と言ったのに対して姜尚中は「情を通すには理がいる。」とまるで小学生みたいな理屈を怒鳴って返した。これってわしの疑義に対する回答になっているか?誰が感情に任せて経済制裁せよなどと言っとるか?こういう議論の破綻を見抜けないのが最近の知識人であり、大衆である。馬鹿馬鹿しいとしか言いようが無い。
これ、両方「なるほど」と思う言い分。でもかみ合っていない。何でか?論点がずれているんですよね。お互いの。確かに議論が破綻しているともいえる。この流れなら感情についての反論をするのが論の流れで、そこから情と理に持っていくのは少しずれていると思いません?
でも…こんな状況って多いんですよね。
話し合いの出来る場っていうのは思いのほか少なくなっているのかもしれない。
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本日のお勧めリンク |
http://www.mapion.co.jp/bb/index.html
(MapionBB 地図が見れます。地図から感じることも)
http://www.rurubu.com/event/error.asp
(るるぶ.COMの祭り・イベントサーチ 私自身は試練の最中ですが(泣)皆さんは夏!ぜひ楽しんで!) |