2005年9月12日(月) |
no.53 くっすん大黒 町田 康 著 |
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くっすん大黒
町田康 著
文芸春秋
410円
2002年
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上記画像はアマゾンへの
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日常を生き抜く事
さてどうにも書こう!と思うんだけど、ここの文章を書く時、どうにも書き始められない時がある。例えば今日みたいな選挙が終わって節目の日は「今日のあれこれ」を書いておきたいから本も紹介しよう、と思い本も決めて、題も決めて、ヨシ!と気合をいれるのだが、これが書き始められないのである。
書き始めると夢中になり、文をいじくりまわし、2・3時間はあっという間にたってしまう。酷い時は何日かかかって書く事も多い。そうすると一つ書き終わると精魂尽き果ててしまう(笑)
独り者の「精力善用自他共栄」という所だろうか。
…という事で今日は少しユルメに本の紹介に入る。
この本、大学のある友人に勧められ読んだ一冊である。作者はパンクバンドをやっている方らしい。
本の内容は現代における梶井基次郎の「檸檬」といえる「くっすん大黒」。(檸檬の代わりが大黒である。このネタで最初ここを書こうと思ったら解説で使われていました(泣))ある女に理不尽な目に遭い、不遇の日々を送ることになりつつも生きていく「河原のあばら」の2作からなる。
なかなか作者の経歴も作品ないようも説明するのが難しいのである。
しかし、読んでいくとである。これが又何ともいえないのである。最近紹介した小川洋子さんの「薬指の標本」でも今までに感じた事のない感覚を得る事が出来たが、これもそれとは違うが未体験の世界なのである。
「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、その言葉に挑む作品なのかな、と思う。予定調和を崩そうとしているのがひしひしと感じられるのである。現実の理不尽さ、厳しさやりきれなさ、それでもなお何となく明日へ生きていくという「まったり感」が醸し出されているのである。
このあたりは宮台真治の「終わり無き日常を生きろ」と言う考え方にも近いのではないだろうか。今、私たちの現状はたくさんの情報があり、常に色々なプレッシャーがかかっている。それでいて変化を見出す事が厳しい。そんな中で「変われ!」「変わらなければ!」「こうなりたい!」という思いと、「変わるな!」「変わりたくない!」「変われない」という思い、状況が並存しているのではないかと私は思う。
更に言えば、そんな中である状態になる事で「ケリ」をつけたがる。二元化、思考停止etc。昨日の選挙の自民党の勝利を分析した際に、ある政治家が今回の勝因は「白黒はっきりつける事に小泉総裁が成功したからである。」と言うような事を言っていた。確かにそうである。郵政民営化にYESかNOか?正に白黒つける、と言うにふさわしい。しかし実際はどうだろうか?こういう事を言った人がいた。
「私は自民党支持者です。自民党も小泉氏の政策にも賛成です。でも郵政民営化だけは反対です。かといって野党を支持するつもりは毛頭ありません。私は何処に入れればいいのでしょうか?」
…。こういう人もいる。自民党議員は答えに窮してしまったが。白黒つける、という事がどれだけ困難で非現実的なものか、というのは今回も垣間見たのでは、と思う。
更に言えばアメリカの政策。「悪の枢軸」という言葉がある。その反対にはアメリカの持つ「民主主義」という錦の御旗がある。おいおいお宅の国はフロンティアとか言ってどんな事をやってきたんだ?「悪の枢軸」に負けるとも劣らない事やってないか?と思ってしまう。悪があると、その対極「正義」が生まれる。そこには結構怖いものが潜んでいるのではないだろうか?
この本はそういう白黒つけたり、秩序付ける事を拒んでいる作品である。読んでいくと理不尽である。出て来る人は悪い所もあり良い所ある。そんな人が生きていく様を描いているのである。そのため読んでいても割り切れない。だから読み終わってもさっぱりしない。
でもこれがある意味、事実に近いんじゃないか、と思う。勧善懲悪なんておっそろしいものだと思うのである。
勿論、一切の秩序を否定はしない。超「戦争論」などで吉本隆明が提唱したすべてにおいて普遍的な倫理観「人間の『存在の倫理』」(人は存在する事自体に意味がある)を基本的には支持するし、やはり人の道と言うものは存在する、と思うのである。
ただ、である。そういうものはそうそう容易に達成されるほど甘くは無いのも分かる。そんな中で諦めない、自分らしさ(自然)で生きる「終わり無き日常を生きる」事、それが大事なのではないだろうか?
正しい、という倫理観の保持は何ら否定されるものではない、そんな中でそれを反省する、省みる必要があるのではと思うのである。それをふと感じさせてくれる一冊、それが本書であると私は思う。
しかもこの本を読んでいくと、割り切れなさ、理不尽さが溢れていのだが、それが嫌味でないのである。思わず苦虫噛み潰したような顔で笑いながら読めるのである。ここに作者の力量がみてとれる。
今までにない世界を覗ける一冊だと思います。
是非ご一読を。
最後まで読みきれる文章だったでしょうか?お教えいただきたく思っております。もし最後まで読めた、という方は一押し頂けると参考になります。更に何か一言!という方はその後にもう一押ししてメッセージを頂けると嬉しい限りです。
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今日のあれこれ |
昨日は自分は「あ〜あ」と言いながらテレビを見ていました。
以前にここで書いたとおりのスタンスなので。
ただ思ったのは、自分の意志を通すとすれば、それなりの覚悟がいる時代になった、それなりの行動が必要とされる時代になったのかな、という事でした。
少し気合を入れていかないと、今ある状況も打開できないし、更に大きく見ればここ10年のうちに限りなく生きずらい国になる可能性もあるのではとひしひしと感じました。
諦めずに。動いていきたいと決意をした昨日、そして今日でした。
さて、自分の今の現状は一人の女性との関係に所属する集団の事情が絡んで、(要は職場恋愛みたいなもんです。恋愛というまでの関係にはなっていませんが)いる。
考えてみれば、異性、恋人にしか理解される事がない、と思っていたのが私の愚かさだったな、と思っている。
一つは人が他者を完全に理解するのは不可能と言う事。そしてその中でも理解するという営みを続けていくとすればその関係は単に恋愛関係にある女性には限らないと言う事。それに気付くまで随分と時間がかかった。
何を求めるか?求めないのか?よう分からんが、そんなことは感じている。
そんな今日。
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本日のお勧めリンク |
今日も関係のないサイト
http://www.happycampus.jp/ (ハッピーキャンパス)
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このように、ハッピーキャンパスは知識関連活動をする人たちにとり有効なひとつの道具となることを使命と考えています。
面白い試みだとは思うが、著作権の事を十分に理解しての使用が望まれると、個人的には思う。
トップの謳い文句「レポートの心配はもういらない」…うーん、何か引っかかる。
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