2005年8月7日(日) |
no.45 靖国論 小林よしのり 著 |
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靖国論
小林よしのり 著
幻冬舎
1200円+税
2005年
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自分にとっての宗教とは何か?
久々の紹介である。つい先日、氏の著作としては「沖縄論」を紹介した。(参照1・参照2)それに続いての新刊である。まず最初にこの著者の特徴が見られるのは、正にその点ではないかと思う。奥付によると沖縄論の発行が7月10日、そして靖国論の発行が8月1日である。つまりこの二つの本の双方の思想を氏は保持しているといっても差し支えなかろう。片やしんぶん赤旗にて紹介され、片や…である。これこそ彼の思想の姿勢の根幹が示されている事例ではないかと思うのである。(自分が考える彼の思想の姿勢については参照1で述べた。)そういう意味でも今回のこの時期の発行(勿論8月15日にぶつけて、という商業的意図もあろうが)は注目に値すると思うのである。
後は単純によう働くお人やなあ、という気持ちもあるが。
さて本書の紹介に入っていく。まずこの本、書き下ろしの数はそう多いとはいえない。全16作品(内、章数10章)のうち完全な書下ろしは3作、一部書き下ろしは1作、加筆は4作である。その他は新ゴー宣、若しくは戦争論2からの出典となっている。その為、目新しさが感じられる本には仕上がっていない。
それよりも著者の靖国に対する姿勢・知識をまとめたこれまでの総論的な位置にあると言えよう。そういう意味では彼の著書をまだあまり読んでいない方が読んでみるにはいい一冊かもしれない。(勿論彼の著書をこれまで読んできた私も、このように総論的にまとめて読む事で考えさせられる事は多々あったが。)
又、本書の論の展開としては今巷に溢れている靖国神社の論争で出てくる論点への氏なりの論の提示と言う形になっている。
例えば
首相の靖国参拝は憲法違反なのか?
A級戦犯は分祀すべきなのか?
(靖国は)戦争を美化する軍国主義の象徴なのか?
(靖国は)日本古来の正式な神道に則った神社ではいのか?
国立の無宗教の追悼施設を作ればいいのか?
等の論点へ氏が自身の論を展開している。(論点は帯より抜粋)
又、この点は私は好感が持てた点なのだが、これらに対し、氏は主に政治的な視点からではなく、歴史的な視点、宗教的視点からの考察を試みている。元来、どうしても国外との関係から政争の具にされてきた靖国問題(?)への貴重な視座の提供であると私は思う。
つまり本作を読んでいくと、題に挙げた「宗教とは?」「自分にとっての宗教」=「自身のルーツ」についての問題に直面する事になるのである。更に言えば「日本人」としての自分の過去とのつながり・自身の日本人としての位置についても考える事になる。
そのテーマとしての靖国であると思うのである。
(無論そこには靖国がテーマになる必然性もあると私はおもうが)
そして敢えて大上段に構えるとすれば、筆者の今の作品のスタンス、その一つの根っこをここに見ることが出来ると言えると私は見ている。
それが総論的である本書によって気付いた点の一つでもある。
私自身、靖国をどう捉えるか?と言う問題に対し、まだ明確な答えは出していない。ただ、10年前に比べかなり、靖国を容認するスタンスに立ったことは確かである。
祖父が生前、上京した際にどうしてもといい靖国神社を参拝した事があった。その時は正直「何でこんな所に」と言う気持ちだった。戦争=悪、それに従事した人=悪という考えであったから。しかし今考えてみれば、その固定した考えの下、祖父の考え、祖父の生き様について聞く事が殆ど無かったのは今思えば、非常に悔やまれる事である。
氏の著作に対しても同じような面があるのでは?と私はいつも思う。著者の本に対し、反感を覚えるのは全然構わない。私も全面的に彼の主張を支持するわけではない。しかしそこで反論する際にまずは著者の主張を丹念に読み取っているだろうか?その反論は誤解から生まれている反論ではないだろうか?賛同する側も然りである。彼の主張を明確に抑えての賛同だろうか?彼が書いたから、そのテーマだからの賛同になってはいないだろうか?まずは理解に勉める、その上での反論・賛同であるべきだと私は思う。
自分が理解されず、誤解されたまま反論・賛同された時はどうだろうか?
何か違和感を覚える筈である。
そういう事は避けたい。当たり前の事かもしれないが、、そして完全には出来ることではないが、勉めたいと私は思う。
いずれにしても、もうまもなくやってくる一つの節目、8月15日。
私達の祖先の事を思い、考える時に読んでもいいのでは?と思う一冊である。 |
今日のあれこれ |
まず今日の紹介。あえて紹介では内容を明確に書かず、かつ自身の本書へのスタンスをここでは表明する事を抑えたつもりではいます。何故か?読まず嫌いという結果を招く事を避けたかったからです。
自分と反する意見・論を聞くことというのは多くの人がそうであるように気持ちのいいものではないと思います。
ただ自分が受け入れがたい、見えにくいそこにこそ、自分の姿がある、見えることもあるのではないかと思います。
寧ろ、そういった意見・論は入ってきづらい。だからこそ自ら進んで耳にし、読まなければならない、とも思います。
人は「好き・嫌い」、「良い・悪い」という簡単な二元論で片付けられるものではない。それは心身二元論がどう扱われてきたか、を見ても明らかな事だと思います。
私も当然、一人の人に関して「好き」と思う点もあれば、「嫌い」と思う点もあります。特に今回の件に限っていえばそれがいろいろな所で、色んな人たちに複雑に捉えられ、また自分自身も複雑な思いを持っています。
だからこそ私はその人にしても、他の人にしてもその「関係」を切ってはいけない、向き合っていかなければいけないと思っています。そういうところにこそ自分を見つけられる、見える可能性があると思うから。
そう思って私は動いている所です。
…何にしてもいっそがしい!!
夏休み…の筈なのに何かしらの用が舞い込んできたり、その他諸々と…。
ここの更新・改装も少しずつやっていくのでどうぞお付き合いくださいませ。
明日からは調査旅行に行ってまいります(泣)
暑いのに…。
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本日のお勧めリンク |
http://www.yasukuni.or.jp/ (靖国神社) |