再びの紹介である。前回以降、師と共にこの本についての話をし思う所があったので再度、紹介したいと思う。(
前回)
以前、山田ズーニーさんの書評を紹介した。(
no17,
no18参照)そこでは他人に自己を伝える為に如何に自身が自己を見つけるか、更に言えばその為にどのような問いを立てることが必要か、そんな事が書かれているという事を紹介した。今日紹介する本は簡単に言えばその前段階を述べた一冊だと思うのである。
筆者は解剖そして脳の専門家である。彼は人間をつかさどる脳の働きを入力と出力の繰り返しであるという。そしてこの繰り返しを通し、人は学んでいくと。入力、五感で様々な情報を取り入れ、筋肉の収縮という形でそれに対し出力する。そしてその出力は外界に変化を及ぼし、それが又入力され…。その繰り返しで普遍性のあるものが記憶され、それに意味がつけられることによって「学習」が為されるとするのである。だから、この出入力の繰り返しを作ることが必要であると説く。
また「考える事」は学習の結果この入出力が頭の中で出来る事であるともしているのである。
そして現代の社会は、その近代化の為等によりはこの繰り返しがうまく行われ無い為、「考える事」への偏りがおき概念・情報が先行・重視され、その結果、プロセス・分らないもの・割り切れないものが軽視される脳化社会になってしまっていると指摘するのである。
そしてだからこそ、絶えずこの入出力が必要だというのである。
そしてこの段階では当然自分の中だけで考えない事≒入力を行うことも必要になる。よって人間関係等自身の中だけでの考え方の問題性が指摘されるのである。
このように筆者は自身の専門である、脳、その働きを考え、そこから社会の今を分析し警鐘をならしているのである。
問いを立てること、これは「考える事」と同意であろう。しかしそれが出来るようになるには、出入力の繰り返し、ループを学びそれが頭の中でできるようにしていく必要があるとも考えられる。そういった意味でこの本は「問いを立てること」の前段階に当たる本では?と述べたのである。
前回紹介したとおり、やさしい本である。しかしそれ故に筆者の言い分を見つけ出すには困難する面もあるのでは?と思うのである。何故なら論文の場合、形式がある。その形を考えることにより、筆者の言い分≒主題を見つけることも可能である。しかしこの本は質問へ回答する形、しかも内容を分りやすい形にしてある。その為、その場その場で分りやすい言葉が用いられる。
さっと読めるのだが、それ故に読み落としがちになる事、それもありえると思うのである。
実際、私もうまく筆者の主張、思いが読み取れたかは自信が無い。
そういう意味では知的好奇心を見事に満たしてくれる一冊でもある。何かの機会に是非お手にとっていただければこの上ない喜びである。